誰がケネディを撃ったか
イントロダクション
<空は晴れあがり、風も弱くなりました。>
1963年11月22日、ジョン・F・ケネディアメリカ大統領は、ジャクリーン夫人と、テキサス州ダラスを訪れました。政権の座について3年、大統領は46歳という若さでした。
<大統領は出迎えの市民たちと握手をかわしています。大統領専用車が空港を出発します。>
大統領のパレードは、ダラスの中心部を抜けて、昼食会の会場に向かいます。
<大統領夫妻は後部の席に、州知事夫妻はその前の席。護衛官は一番前の席に座っています。今大統領の車は、エルム通りに入りました。>
<パレードに何か起こった模様です。何か起きました。みんな道路わきの斜面を登っていきます。数人の警官も登っていきます。誰かが銃で撃たれました。負傷者は病院に運ばれます。病院では入り口を警官が固めています。大統領の車が来ました。コナリー知事が胸を、大統領は頭を撃たれた模様。発表がありました。>
<大統領が死亡しました。市民も大統領の護衛官も大きな衝撃を受け、泣いています。>
〔誰がケネディを撃ったか~暗殺から25年~〕
制作 ロバート リヒタープロ、WGBH(アメリカ)-1988年-
ケネディ大統領暗殺の経過
この25年間に、ケネディ大統領暗殺の正式調査が2回行われました。ひとつは、この部屋の窓から、一人の犯人が大統領を狙撃したと結論し、もう一方の調査は、共犯者がいたとしています。
元CBSキャスター ウォルター・クロンカイト「単独の犯行だったのか、それとも共犯者がいたのか。また、大統領の遺体に何者かが手を加えたのか。数々の証言がこれらの疑問を生みましたが、写真・銃弾・解剖記録などの証拠を最新の科学技術で分析し、だれがケネディを撃ったかを検証していきます。」
ケネディ大統領が死亡してから数十分後、ダラス警察は、映画館に潜んでいたリー・オズワルドを、近くで起きた警官殺害の容疑者として逮捕しました。オズワルドは、暗殺現場での様々な証拠をもとに、その日のうちに暗殺の容疑者として告発されました。
リー・オズワルド「法的手続きなしで尋問されたんだ。私は誰も撃ってない。」
オズワルドは、大統領も警官も撃っていないと主張しました。大統領が暗殺されてから2日後の11月24日、アメリカの放送局は、ケネディ大統領の棺が午後からの国葬に備えて議事堂へ運ばれていく様子を、朝から中継していました。同じころ、ダラス警察は暗殺の容疑者オズワルドの身柄を、警察の留置場から、軍の拘置所に移そうとしていました。
<オズワルドが撃たれました。何ということでしょう。現場は混乱していて収拾がつきません。移送中のオズワルドが撃たれ、現場は封鎖されました。>
オズワルドを殺したのは、マフィアとつながりのあるクラブの経営者、ジャック・ルビーで、オズワルドの口封じのためだったと噂されました。
ウォーレン委員会の報告
<ウォーレン報告 大統領暗殺から10か月、最高裁長官が率いる――ウォーレン調査委員会の委員7人はホワイトハウスを訪れ、ケネディ大統領暗殺の調査報告を提出しました。>
ケネディ暗殺の事実を究明するために、政府が組織したウォーレン委員会の調査報告書は、実に26冊にもなりました。調査報告は、FBIが中心になって集めた膨大な証拠と、目撃者たちの証言などを科学的に分析したものでした。その結果、ウォーレン委員会は、ケネディ大統領を暗殺し、その前の席に座っていたコナリーテキサス州知事に重傷を負わせた犯人が、やはり、ダラス警察が逮捕した男、オズワルドだと結論しました。
この広場を通り抜けるときに、大統領は暗殺されました。そのとき、目撃者の多くはこのテキサス教科書倉庫から、3発の銃声がするのを聞いています。また6階の角に人影を見たという人もいました。オズワルドは、この倉庫の従業員で、暗殺の当日も、ここで働いていました。
ダラス警察は、狙撃があった直後に、6階の窓際に段ボール箱を積み上げた狙撃用の場所を見つけました。その近くには、3個の薬きょうもありました。
教科書の入った箱のあいだには、旧式のライフル銃も隠してあり、銃からは、オズワルドの掌の跡も確認されました。またオズワルドは、偽名を使い、20ドル弱の値段でそのライフルを通信販売で購入していたこともわかりました。
大統領の車からは、銃弾の破片二つが、そして病院の担架からは、銃弾一つが見つかりました。その破片と銃弾、それに薬きょうは、弾道検査で、倉庫で発見された銃のものと断定されました。
大統領の遺体は、ワシントン近郊の、ベセスダ海軍病院に運ばれ、検死を受けました。その結果、大統領に命中した銃弾は2発で、1発が首を貫通し、もう1発が頭に致命傷を負わせた、また銃弾は2つとも大統領の後ろ、つまり教科書倉庫のほうから飛んできたとされたのです。この検死報告や現場の証拠は、すべてオズワルドが犯人であることを裏付けているかのように見えました。
しかし専門家のなかには、ウォーレン報告の内容に疑問を持つ人もいました。いくつかの証拠が矛盾していたのです。そしてさまざまな反論が発表されましたが、その反論に共通しているのは、オズワルドが行ったとされていることを一人で実行するのは物理的に不可能で、共犯者がいたはずだという点でした。
下院調査特別委員会の報告
ニューオーリンズの地方検事、ジム・カリソンは、オズワルドは、CIAとマフィアが立てた暗殺計画の一部を実行したに過ぎないと考え、調査を始めましたが、途中でつぶれました。70年代に入っても、ケネディ暗殺への疑問は、アメリカ国民のなかから消えませんでした。そこで下院は、特別委員会を設置し、1977年から、暗殺について改めて調査を行いました。その新しい委員会は、ウォーレン委員会の出した、オズワルドが犯人であるという結論は支持するが、第二の狙撃犯も存在し、その銃弾は命中しなかったと報告したのです。この結論には疑問も出ており、ケネディ暗殺が陰謀によるものだという説も、根強く残っています。
暗殺現場、デイリー広場の状況は、25年経った今も、当時とほとんど変わっていません。オズワルドがケネディ大統領を狙撃したとされる教科書倉庫。そして、第二の狙撃犯がいたとされる芝の斜面です。大統領の車はヒューストン通りを進み、交差点で左折して、エルム通りに入りました。ウォーレン委員会は、目撃者の証言をもとに、最初の銃弾が大統領の首を貫通し、2発目が大統領の前にいたコナリー州知事に当たり、3発目が大統領の頭に致命傷を与えたと当初は考えていました。
<回復したコナリー知事が事件について語りました。>
コナリー知事「交差点を曲がり、私は銃声を聞いて――振り向くと大統領はぐったりしていました。私は振り向いたときに撃たれました。」
このコナリー知事の証言によれば、大統領と知事は、別々の銃弾で撃たれたことになります。これに対しウォーレン委員会は、二人が一発の弾で撃たれたとしています。
検証 発砲の間隔
暗殺はたった6秒間の出来事でした。殺人事件を研究しているジョシュア・トンプソンは、著書ダラスの6秒間のなかで、大統領に当たった銃弾と、知事に当たった銃弾を分析し、オズワルド単独犯説を否定しています。
「ダラスの6秒間」著者 ジョシア・トンプソン「オズワルドが使ったとされている型のライフルを、FBIが調査しました。最も短い間隔で発砲するには、こうなります。1発目から2発目を撃つまでに、最低2.3秒かかります。これには、照準を合わせる時間が入っていません。ですから、その時間を加えると、1発目から2発目まで、少なくとも、3.4秒はかかるはずです。知事は、1発目の銃声を聞いてから、大統領のほうを振り向き、そのとき銃弾が自分に当たったと証言しています。そんな短時間に、この銃で2発も撃てませんし、その瞬間をとらえた8ミリフィルムを見ても明らかです。」
ダラスに住むアブラハム・ザプルーダーは、芝の斜面に立ち、8ミリカメラで大統領の車を撮影していました。このカメラは、1秒間に18コマの速さで回ります。つまり、18分の1秒ごとに、大統領暗殺の瞬間を撮影していたのです。
ウォーレン委員会は、フィルムを1コマずつ分析し、オズワルドが撃った1発目は外れ、2発目が大統領と知事の両方に命中したと判断しました。大統領は、後ろからの銃弾を受けたことになります。これが、オズワルド単独犯説です。
しかし、ジョシア・トンプソンはこう反論します。
ジョシア・トンプソン「これは、207コマ目です。ウォーレン委員会は、このコマと、222コマのあいだで、二人が1発の銃弾で撃たれたとしています。道路標識に隠れてはいますが、まだ撃たれた様子は二人には見られません。
222コマ。車が道路の標識から出てきたところですが、コナリー知事に異常は認められません。
225コマです。ケネディ大統領は明らかに撃たれています。知事は大統領の前に座り右を向いています。230コマ。ここで大統領は、手で撃たれた喉を押さえています。大統領の前に座った知事は落ち着いています。ウォーレン委員会の説に従うと、知事はすでに銃弾を受け、肋骨と手首を負傷しているはずです。236コマに移ります。
このコマでも、ケネディ大統領は喉を押さえています。知事は何か叫びながら振り向こうとしています。237コマ。コナリー知事は振り向く動作を続けています。そして次のコマに進むと、知事の肩はがくっと落ち、頬は膨らんでいます。この18分の1秒の変化が問題なのです。頬が膨らんだのは、胸に銃弾を受け、肺が圧迫されたためと考えられます。この二つのコマは、知事が銃弾を受ける前と後を記録しています。大統領が撃たれたのは第225コマですから、大統領は知事が撃たれる前に、銃弾を受けていたことになるわけです。」
しかし、下院調査特別委員会の見解は違いました。
ミカエル・バーデン博士 下院調査特別委員会「人間の身体では、時として銃弾を受けた反応が、遅れて現れることがあります。フィルムの中の知事の反応は、そのよい例です。撃たれたからといってすぐに反応が現れるとは限らないのです。」
この証言を受けて、下院調査特別委員会は、コナリー知事は1発目の銃声を聞いて振り向いただけで、その弾は誰にも命中しなかったとしました。そして3秒後、車が道路標識に隠れている間に発砲された2発目が、大統領の首を貫通して知事の胸に当たった。また1発目と2発目の間隔も3秒間あり、照準を合わせるには十分だったと結論しました。この結論は依然、狙撃者が2人いたのではないかという疑いを消すものではありませんでしたが、すくなくとも、大統領と知事が同じ弾で撃たれたという可能性を確認するものとなりました。
検証 銃弾
大統領と知事を狙撃した銃弾は、ダラスのパークランド病院の、知事を運んだといわれている担架から見つかりました。弾道検査の結果、それはオズワルドのライフルで使われたものと判明しています。ウォーレン委員会は、二人を撃ち抜いた銃弾が知事の身体から担架に落ちたと説明しました。これがその銃弾です。ほぼ完全な形です。一般に銃弾が人の身体を貫通すると、形が崩れるものですが、この弾は違いました。知事を手術したのは、パークランド病院の医師、ロバート・シャウでした。
元パークランド病院医師 ロバート・シャウ「弾は知事の肩から入り、胸を貫通して肋骨の一部を砕いていました。そしていったん5番目の肋骨から10センチのあたりで体内から出て、知事の、手首のちょうどこのあたりに入り、固い手首の骨を砕きました。 そして弾の破片が、コナリー知事の太ももを突き抜けたとされています。狙撃のあと、知事が病院に運び込まれたときは、危篤一歩手前の大変危険な状態でした。あれだけ人間の身体に傷を付けながら、もとの形をとどめていた弾を初めて見ました。普通なら、もう少し形が変わっているのです。」
犯罪科学の権威、シリル・ウェック博士は、犯行に使用されたものとよく似た銃と銃弾を使って、ある実験を行いました。二人の人間にあれだけ大きな損傷を与えた銃弾が、その原形をとどめている可能性があるのか、確かめるためでした。
犯罪科学研究 シリル・ウェック博士「犯人が使ったのと同じ6.5ミリの銃弾を使いました。まず私は、綿を詰めたものに銃弾を撃ち込んでみました。この弾は、二つとも綿の中から回収したものです。どちらも底の鉛の部分に微妙な突起ができていますが、それ以外は、このように撃つ前と同じ形をしています。つぎにこれは、ヤギの肋骨に撃ち込んだものです。少し形が変わっています。それからこれは、コナリー知事に与えた傷と同じ、人間の太い手首の骨を砕いた銃弾です。一目でわかることですが、銃弾の頭の部分の形が変わっています。普通銃弾が人間の骨など固いものに命中した場合、このようにどこか形が変わるものです。これが、病院の担架から見つかった問題の銃弾で、証拠物件として保管されていた実物です。1963年にコナリー知事を傷つけたといわれている銃弾そのものです。
ウォーレン委員会はこのほぼ無傷の銃弾が、コナリー知事の肋骨を破壊し、手首の骨を打ち砕いたと結論しているのです。骨を破壊した銃弾が、これほどきれいな形をしているとはちょっと驚きです。よく見てください。先端の部分も、側面も、原形のままといっても言い過ぎではありません。そして、あの綿に撃ち込んだ2発の銃弾と同じように、そこの鉛の部分に小さな突起があります。この突起は、発砲するときにできるものなのです。」
速度の遅い銃弾は、形が崩れにくいという説もあり、オズワルド単独犯説の支持者は、銃弾が大統領に当たって失速してから知事に当たったので、形が変わらなかったのだと主張しています。現在、ウェック博士はこの研究を進めています。また担架で見つかった銃弾と、コナリー知事の身体から摘出された弾の破片の成分も、改めて分析されました。摘出された破片は、見つかった銃弾の一部だったのですから、当然その成分は同じでなければなりません。
カリフォルニア化学大 ビンセント・グイン博士「知事の手首から摘出された破片と担架にあった銃弾は、成分が同じでした。」
同じときに製造された銃弾の成分はよく似ている場合があり、一概にいうことはできませんが、この結果は、1発の銃弾が2人を撃ち抜いたという説を否定するものではありません。
検証 銃弾の角度
教科書倉庫の6階の窓から、ケネディ大統領とコナリー知事の二人を、1発で撃ち抜くことは本当にできるのでしょうか。FBIは、銃弾の角度によっては十分有り得ると、ウォーレン委員会に報告しています。しかし傷跡を比べると、二人は違う角度からの銃弾を受けたように見えました。
元パークランド病院医師 ロバート・シャウ「なぜ右斜め後ろのビルの6階から飛んできて、大統領の首を貫通した弾が、大統領の真ん前に座っている知事に当たらなければならないのでしょうか。もしそうだとすると、オズワルドが撃った銃弾は、ジグザグに飛んで二人に傷を負わせたことになります。ですから銃弾は知事の右胸ではなく、左胸に当たったように私には思えるのです。」
写真を調べると、知事は実際には大統領のやや左前に座っていました。二人の傷を分析して弾道を割り出すと、角度は明らかに違っており、1発の銃弾が知事と大統領に命中したことにはなりません。また分析の結果、コナリー知事に当たった銃弾は、教科書倉庫のかなり高い階から撃たれたもので、いっぽうケネディ大統領への銃弾は、それよりはるかに低いところから撃たれています。やはり別々の銃弾が二人に命中したのでしょうか。
下院調査特別委員会 ミカエル・バーデン博士「ケネディ大統領の背中と首を結ぶ弾道は、ほんの少しですが、解剖学的には上を向いていました。しかし大統領が狙撃を受けたとき、やや前かがみの姿勢だったとしたら、体と弾道の角度はそのままですが、弾が飛んできた方向や角度は変わっています。これなら、右上から狙撃を受けたことになります。コナリー知事の場合も同じで、傷口を結ぶ弾道は確かに、大統領よりかなり下向きですが、知事がもし後ろに反り返って座っていたら、やはり角度が変わってきます。つまり、大統領がややうつむき加減になり、知事が少し反り返るようになった瞬間に狙撃されたとしたら、1発の銃弾が2人を撃ち抜いたという説明もできるのです。」
この弾道分析の結果、二人に命中した銃弾は、倉庫の6階の窓から発砲されたという可能性が出てくるのです。ではジグザグの弾道はどう説明できるのでしょうか。知事の証言通り、最初の銃声を聞いた知事が後ろを振り向いたときに第2の狙撃があったとすると、二人の弾道は一致します。また、人体に入った弾丸が、体内をまっすぐ進むとは言い切れません。
これは、人体と似た性質を持つゼラチンです。この中に、ライフルの弾をまっすぐに撃ち込んでも、その軌跡が直線になるとは限りません。この実験でもわかるように、仮に大統領の体内を直進した銃弾が、知事の体内で方向を変えたとしても、一向におかしくないのです。これまでの様々な証言や実験結果を総合すると、1発の銃弾が二人の人間を撃ち抜くことは、不可能ではなかったということになります。
検証 第2の狙撃犯説
しかし、これで、オズワルド単独犯説が立証できたわけではありません。暗殺の瞬間をとらえた映像や、目撃者の情報の中には、この芝の斜面に、もう一人の狙撃者がいたことを示すものがあるのです。
<みんな道路わきの斜面を登っていきます。>
ケネディ大統領暗殺の目撃者の多くは、道路のわきにある芝の斜面に、銃を持った男がいたと証言しています。マルコム・サマーズさんは、目の前で暗殺を目撃した一人です。
目撃者 マルコム・サマーズさん「大統領の車が私の前を通り過ぎたあと、芝の斜面に向かうと、そこにはスーツを着てコートを腕にかけた男が、銃を持っていました。小型マシンガンだと思います。」
暗殺直後の写真では、警察官や多くの市民が、芝の斜面に向かっています。ウォーレン委員会は、これを、暗殺現場から逃げ出しているとしました。しかし、何かほかの理由があったのではないのでしょうか。
作家 ジョシア・トンプソン「私がインタビューした目撃者の一人は、狙撃の直後に斜面の上にある柵の近くから、何かの煙が上がるのを仲間と一緒に見た、と証言しています。そしてすぐに、煙が見えた植込みのあたりに行ってみると、新しい足跡と煙草の吸殻があり、それまで誰かがいたようだったというのです。」
芝の斜面から煙が上がるのを目撃したと言っているのは、彼らだけではありません。はたして、第2の狙撃犯は存在したのでしょうか。いたとしたら、何か証拠は残っていないのでしょうか。
この写真には、ライフルをまっすぐカメラに向かって構えている人がいるように見えますが、写真を分析してみると、単なる影でした。
これは、狙撃の少し前に撮影された写真です。画面の真ん中にあるのが大統領の車です。芝の斜面の上のほうをよく見ると、何か人影のようなものがあります。
写真鑑定家 ボビー・ハント「これは明らかに人間です。頭と肩の輪郭が出ています。顔のように見える部分の色を分析してみますと、人間の肌の色を表すピンク系の色であることがわかりました。またライフルのような物体、細い棒のようなものも確認できます。この画像を拡大して、色などを細かく分析した結果、私たち写真分析チームは、この影を人間であると判断します。しかしこの細長いものがライフルかどうかは決めかねました。単なる写真の汚れのようにも思われるのです。」
この写真は、今の人影を違うアングルから撮影したものだといわれています。しかし、人影が不鮮明なので写真を拡大して分析することはできません。
そこで、マサチューセッツ工科大学の協力で、コンピュータを使ってこの写真を調べました。写真のネガフィルムに光を当てて、画像の微妙な明暗を読み取っていきます。そのデータをコンピュータで分析し、写真に写っていた物体一つ一つの輪郭を、できるだけ正確に確定していきます。人の顔とも取れる形が写っていました。そして口のあたりには、何か光るものがあるようです。
「これはたぶん人間でしょう。どうだい。」
「少し想像力がいるが、人のようなものが見えるね。」
同じ写真で、斜面の上、柵のあたりに、やはり人影のようなものがあります。ここは、狙撃直後に煙が上がったといわれている場所です。もしここに第2の狙撃犯がいたとすると、これが狙撃犯が見た大統領の車の動きです。
大統領の車は、少しのあいだ、手前の壁の後ろに隠れます。大統領の車が現れました。犯人は、大統領を簡単に狙撃することができます。この位置は、8ミリフィルムの313コマ目に当たります。
8ミリフィルムでは、銃声を聞いたコナリー知事が振り向くのがわかります。そして、この道路標識に隠れている間に、ケネディ大統領と知事が、倉庫からの1発の銃弾で撃たれたとされています。そして、313コマ目で、大統領は頭に銃弾を受けて、致命傷を負っています。
この頭への一撃は、後ろの教科書倉庫ではなく、前から発砲されたのではないかとよく議論されます。銃弾を受けた大統領の頭が、反動で後ろに動いているので、大統領の前から、つまり芝の斜面にいた犯人が狙撃したとも考えられるのです。
犯罪科学研究 シリル・ウェック博士「もし人間の上半身に、後ろから強い衝撃が加わるとすると、体は当然前のほうに動きます。大統領は初め、後ろから銃弾を受け、前にかがみます。そして、2発目を受けた大統領の頭は左後ろに傾きます。この頭の動きは、前からの発砲の可能性を示しています。
はたして、いつもそうだといえるのでしょうか。ダキマーズ博士は、大統領を撃った銃弾も後ろから飛んできたという、ウォーレン委員会の結論を調べるために、後ろから頭蓋骨に銃弾を撃ち込む実験をしました。後ろから銃撃を受けた頭蓋骨は、後ろに飛びました。この動きは、銃撃を受けたケネディ大統領と同じです。ノーベル賞科学者、ルイス・アルバレス博士も、同じ実験結果を発表しています。大統領の頭の動きは、芝の斜面にいたといわれる、第2の狙撃犯の存在を完全には証明できません。
検証 銃声
目撃者 マルコム・サマーズ「1発目は倉庫からだと思います。2発目は誰だかわかりませんが、犯人は複数だと思います。1発目の銃声は遠くから聞こえたのですが、2発目は近かったのです。」
ケネディ大統領が暗殺されてから数年後、大統領を狙撃したときの銃声らしいものが、偶然録音されていたことがわかりました。大統領の車を護衛していた白バイの警察無線を通して、ダラス警察本部のテープに録音されていたのです。この録音には、オズワルドが発砲したとされている3発よりも多い、4発の銃声が録音されていました。
下院調査特別委員会は、この録音を分析するために、暗殺があったデイリー広場で、銃声の実験をしました。暗殺当日の白バイの位置を考慮して、トランシーバーを配置し、教科書倉庫からの銃声と、芝の斜面からの銃声を録音し、この2つを、ダラス警察で見つかった録音と比較するのです。広場での音の伝わり方や響き方が調べられました。このデータを分析した結果、下院調査特別委員会は、3つとされていた銃声を、4つだったとしました。また芝の斜面からの銃声は、かなり特徴的な波形を持っていることがわかりました。その波形と、ダラス警察に録音されていた銃声の波形は、一致しました。
下院調査特別委員会 マーク・ウェイス「95%以上の確率で、芝の斜面から狙撃がありました。」
下院調査特別委員会の調査結果が発表されたあと、1979年7月に、ある雑誌が、ケネディ暗殺を特集し、ダラス警察の録音をレコードにして付録に付けました。そのレコードを聞いたスティーブ・バーバーさんは、調査委員会の専門家が聞き逃したかすかな声に気付きました。銃声といわれる音と一緒に、警官が警察本部に大統領一行の様子を報告している声が入っていたのです。
スティーブ・バーバーさん「警官が話しているときに、専門家が銃声だと判定した音が一緒に録音されていますが、その銃声のあとも、普通に話を続けています。だから、あの音は銃声とはいえません。」
1982年に、バーバーさんの主張が正式に認められました。ダラス警察の録音は、証拠物件から取り消され、第4の銃声の存在も否定されました。ウォーレン委員会や、下院調査特別委員会、そして、多くの専門家たちの調査にも関わらず、オズワルド単独犯説や、第2の狙撃犯の存在を完全に証明できる、決定的な証拠はまだ見つかっていません。あれだけの証拠がありながら、なぜ真相を明らかにできないのでしょう。全ての疑問に答えを出す、決定的な証拠はないのでしょうか。
検証 大統領の遺体
政府の調査に不満を持っていた、デイビッド・リフトン博士は、それまでとは全く違った角度からケネディ暗殺の謎に挑み、その結果を、ベスト・エビデンス、最高の証拠という本にまとめました。博士は、あらゆる証拠を徹底的に調べ、大統領の遺体が何にも勝る重要な証拠であるとしたうえで、驚くべき結論を引き出したのです。
ケネディ暗殺研究家 デイビッド・リフトン博士「大統領の遺体の運搬には、途中に空白があります。ダラスの病院で遺体を棺に納めたのは、A・ライクさんでした。」
A・ライク「私は大統領の遺体を棺に入れるのを、1963年11月22日に病院で手伝いました。」
ケネディ暗殺研究家 デイビッド・リフトン博士「シーツで包み、棺に納めました。」
遺体を納めた飾り付きの棺は、ワシントンのベセスダ海軍病院に空輸されました。しかし、ここで開かれた棺は違いました。
元ベセスダ海軍病院 ポール・オコーナー「棺には飾りがなく、遺体は灰色の袋に入っていました。私たちはその袋から、大統領の遺体を出したのです。」
ダラスで遺体を棺に納めたときは、シーツで包んだだけで、遺体袋には入れていませんでした。
元葬儀社社員 A・ライクさん「遺体を持ち上げたら、私の服に血が付きました。遺体袋なら、服は汚れないはずです。」
そして、飛行機の中で遺体を移したという記録も残っていません。リフトン博士は、調査の結果、ある結論に達しました。それは、遺体がワシントンの空港から、直接海軍病院に運ばれたのではなく、その前に、密かにワシントンの陸軍病院に運ばれ、何らかの処置を受けたあと、海軍病院に運ばれた可能性があるということです。また、海軍病院で行われた検死にも、疑問を投げかけています。担当したヒュームズ医師にとって、銃弾による遺体の検死はそのときが初めてだったのです。
<元ベセスダ海軍病院 J・ヒュームズ医師>
ヒュームズ医師は、ケネディ大統領のワイシャツにある銃弾の穴の位置と、遺体の傷との関係などを細かく調べませんでした。後の資料となる解剖所見には、傷の位置が、実際より10センチ近くずれたところに記入してあります。また、銃弾が飛んできた方向などを割り出すときに重要な手掛かりとなる脳の検査も、十分なものではありませんでした。この海軍病院での検死記録は、大統領が運び込まれた、ダラスのパークランド病院の医師が事件直後に発表した内容と、かなり違うものでした。しかも、ヒュームズ医師は、検死のときに書いたメモを、報告書を作成したあと、燃やしてしまいました。
ケネディ暗殺研究家 デイビッド・リフトン博士「遺体を調べた2組の医師団はそれぞれ――違う報告をしています。首の前側の傷を、ダラスの医師は弾の入り口と思いました。」
しかし海軍病院の医師たちは、この前側の傷を、背中からの銃弾が体を貫通して前に出たときにできた傷と判断しました。
元パークランド病院看護婦 オードリー・ベル「小さな丸い傷で、入り口だと思いました。銃弾の出口だと、傷は大きくなりますから。」
ケネディ大統領の頭の傷の記録も、ダラスのパークランド病院とベセスダ海軍病院では、傷の大きさや位置の点で明らかに違っていました。6人のダラスの医師たちは、頭蓋骨にできた穴からは小脳が見えたとしています。しかし海軍病院の医師たちは、頭蓋骨の下の部分に小脳が見えるような傷はなかったと言っています。
これは、ベセスダ海軍病院で検死のときに撮影した写真を、模写したものです。こちらは、ダラスで描かれたスケッチです。傷が検死のときとは違っています。大統領が前から狙撃を受けたとする専門家は、この傷が銃弾の出口だとしています。
ケネディ暗殺研究家 デイビッド・リフトン博士「私は当時のダラスの記録を信じて、大統領は前から撃たれたと結論します。」
リフトン博士は、海軍病院ではなく、ダラスの記録をなぜ支持するのでしょうか。これは海軍病院で検死に立ち会ったFBI捜査官が作成した報告です。リフトン博士は、このなかに、海軍病院に着いた遺体の頭部に、すでに手術の跡があったという文書を見つけたのです。
元パークランド病院看護婦 オードリー・ベル「頭部に手術はしていません。応急処置をしただけです。」
ケネディ暗殺研究家 デイビッド・リフトン博士「遺体に手を加えたのです。遺体はすべてを明らかにする、最高の証拠だったからです。何者かが、大統領が後ろから2回狙撃された証拠を残して、前からの狙撃の証拠を消したかったのです。」
検死の前に、大統領の遺体に手が加えられていたというリフトン博士の結論は、発表後、アメリカで大きな反響を呼びました。しかし、本当にそのようなことがあったのでしょうか。あの日、ケネディ大統領の死亡を確認したダラスの医師たちは、ワシントンの国立公文書館に保存されている、海軍病院での検死写真を検討することにしました。
「できる限り、あの日に見た傷を思い出してみます。」
ここに集まった医師たちは、狙撃の直後に大統領に応急処置を施し、その傷口を見ています。
「頭には傷がありました。大統領の頭には大きな傷がこのあたり、頭の側面と後部にありました。」
「この部分です。」
「こんな感じでした。」
「頭蓋骨の側部に、大きな欠損がありました。」
ダラスの医師たちが見た写真は、カラー、モノクロ、合わせて52枚です。この検死写真の閲覧は、ケネディ家からの特別な許可のもとで行われました。写真の閲覧は、一人ずつ行われ、それぞれ納得がいくまで写真を見ることが許されました。しかしその撮影は禁じられました。
「正直なところ写真を見た感想は、私が見た傷とよく似ていましたが、側頭部の小さな傷だけは、ダラスではありませんでした。私が思うには、あの傷を作ったのは、頭蓋骨の一部を取り除き、この骨を露出させて写真を撮るためだったのです。」
この傷は、FBIの報告書にあった手術の跡のことだと思われます。
「私が見たものはどれも、あの日の傷と同じだと思いました。」
「ダラスの病院で見たのと変わりありません。」
「何枚かの写真に、気管切開の跡があります。私がダラスの病院で、同僚と応急処置をしたときと同じです。」
ダラスの医師たちが、大統領の処置をしたときに描いたあのスケッチは間違いだったのでしょうか。それとも、大統領の遺体に手が加えられたという、リフトン博士の結論が、違っていたのでしょうか。いずれにしても、もうケネディ大統領の遺体を調べることはできません。
エピローグ
大統領暗殺は、確かに、その重大さを考えると、様々な憶測や疑いが生まれても不思議ではありません。
元CBSキャスター ウォルター・クロンカイト「多くの物的証拠を分析し、暗殺にまつわる疑問に挑みましたが、1発の銃弾で2人が撃たれたという説や第2の狙撃犯説も、完全には立証できませんでした。大統領の遺体も、もはや真実を語ってはくれません。」
ケネディ大統領暗殺の調査は、今も続けられています。しかし、事件から25年が過ぎた今、目撃者の記憶は薄れ、証拠も次第に姿を消していきます。重要人物暗殺の裏には、必ずといってよいほど、何か政治的な背景があります。誰がケネディを撃ったのかという問いは、はたして、科学的検証だけで答えを出せるのでしょうか。
〔制作 ロバート・リヒタープロ、WGBH(アメリカ)〕≪終≫