古代文明の謎

コンテンツ

ピラミッドはこうして造られた

ピラミッドという巨大建造物

アフリカ大陸を流れる、世界最長の川、ナイル。その流域で、3000年にわたり繁栄したのが、古代エジプト文明です。その繁栄を支えたのが、巨大な建造物を作り上げるための、高度な建築技術でした。天高く立ち並ぶ、巨大な柱。人々が崇拝する神々が祭られた、壮麗な神殿。見る者を圧倒する巨大建造物を作らせたのは、絶大なる権力を誇った、ファラオたちでした。およそ、5000年もの昔に古代エジプトのファラオが最初に作りあげた巨大建造物が、ピラミッドでした。クレーンもない時代に、人間の力だけで、数百万個もの石を積み上げました。なかでも、最大規模を誇るのが、この大ピラミッド。いったい、どのようにして作られたのか。

これまで、世界中の数多くの研究者たちが、その謎に挑んできました。謎解きに挑む人々は、その精緻な内部構造にも、頭を悩ませています。内部には、不思議な空間が広がります。高さ8メートルを超える巨大な通路、大回廊。ピラミッドで最も大きな部屋、王の間。この部屋の屋根には、ひとつの重さが60トンにもなる巨石が積み上げられています。

 

建築家 ジャン・ピエール・ウーダンの新説

その建造方法について、大胆な仮説を発表し、世界中から注目を浴びている人物がいます。建築家の、ジャン・ピエール・ウーダンさんです。ウーダンさんは、ピラミッド内部に、その謎解きのカギがあると考えました。

ジャン・ピエール・ウーダン「ピラミッドに残る不思議な痕跡から私が思いついたのは、内部トンネル説です。」

ウーダンさんの説は、全く新しい説です。ピラミッドの中にトンネルを作り、石を引き上げたというものです。しかもそのトンネルは今も、ピラミッドの中に残っているというのです。トンネルは、ピラミッドの側面に沿って、らせん状に作られました。さらにピラミッドの内部には、ある仕掛けがありました。ウーダンさんは、ピラミッドの中に、エレベーターがあったといいます。巨大な石は、それを使って積み上げたというのです。このアイデアは、建築家ならではのものとして、大きな反響を呼びました。ピラミッドの稜線にある不思議なくぼみ。内部トンネルの痕跡を求めて、今回初めて調査が行われました。

はるか昔、砂漠の中に突然姿を現したピラミッド。古代エジプト最大の謎、ピラミッド建造の秘密が、今日、解き明かされます。

フランスでの注目

フランスの首都、パリ。街の運河沿いに、フランス科学産業博物館があります。いま、ここで行われている、3次元映像を使ったイベントが、フランスの人々の話題をさらっています。この日は、子供から大人まで、250人が集まりました。人々が注目するそのイベントとは、ピラミッドがどのように建造されたのかを紹介するものです。フランス人建築家、ジャン・ピエール・ウーダンさん。58歳。ウーダンさんの説は、内部トンネルを使って建設したという、画期的なものです。考古学者やエジプト学者が思いもつかないアイデアとして、人々の喝采を集めています。

紹介映画を見に来た男性「とても素晴らしいです。ピラミッドの建設について、あまり知識がなかったのですが、ウーダンさんの話を聞いて、ピラミッドがどのように作られたのか、知ることができました。」

紹介映画を見に来た女性「エジプトに行ったことがあるのですが、もしこの話を知っていれば、ピラミッドも違ったふうに見ることができたはずです。」

――ウーダンさんの説を信じますか?

「ええ。もちろんです。」

パリ市内にある、ウーダンさんの自宅です。ウーダンさんが建築家の仕事を始めたのは、1977年のことでした。建築家の資格を取ると、土木技師の父親とともに、パリを中心に公共住宅などの大規模な建築、設計をしてきました。ウーダンさんがピラミッドの研究を始めたのは、1999年。父親からの一枚の図面が届いたのがきっかけでした。そこには、渦巻きが描かれていました。

ジャン・ピエール・ウーダン「その図面は、父が考えた、クフ王のピラミッドの新しい建造方法で、内部に丸いトンネルがあるというアイデアでした。そして、建築家の私に、詳細な図面にしてくれないかと言いました。最初、気軽に引き受けたのですが、しだいにピラミッド建造の謎の奥深さに取りつかれてしまったのです。」

エジプトの首都、カイロ。当初ウーダンさんは、仕事のかたわら、時間を見つけては、ピラミッドの研究を続けてきました。これまで、世界中の研究者たちが、どのように造ったのか、さまざまな説を唱えてきました。しかし、内部にトンネルがあるという説は、誰ひとりとして唱えていませんでした。土木技師だった父親の直感から生まれた、内部トンネル説を、ウーダンさんは捨てきれませんでした。謎解きに取りつかれたウーダンさんは、ついに、建築家の仕事をやめて、研究に専念することになります。ウーダンさんは、ピラミッドの謎解きに先立ち、まず、古代エジプト文明の成り立ち、そして、ピラミッドに込められた、人々の願いを知る必要があると考えました。

古代エジプト ピラミッドが造られたわけ

まずは、ピラミッド建造の歴史を見ていきましょう。巨大ピラミッドを産んだ古代エジプト文明は、ナイル川の流域で繁栄しました。ナイル川がもたらす豊かな水と肥沃な土は、古代エジプトに大規模な農業をもたらし、高度な文明の礎となりました。豊かな生活を享受し始めた人々は、死後の世界でも、幸せな暮らしを送りたいと考え始めます。死後の世界は、ナイル川の西側にあると信じられていました。西側は、古代エジプトの人々が神と崇拝する、太陽が沈む方角だったからです。人々は、翌朝再び昇る太陽の姿を見て、太陽に少しでも近づけば、復活できるとし、天高く伸びるピラミッドを作り始めたのです。

ジュセル王の階段ピラミッド

ナイル川西岸に広がる砂漠地帯では、これまでに、およそ120のピラミッドが見つかっています。今から4700年前、カイロから南へ17キロの場所に、エジプトで最初に造られたピラミッドがあります。その形から、階段ピラミッドと呼ばれています。高さ60メートル、6つの段が重なっています。亡くなった王が、この階段を登って死後の世界へ行けるようにと造られました。このピラミッドの建設を命じたのは、ジェセル王。紀元前2668年から16年間、エジプトを統治したと伝えられています。

ジャン・ピエール・ウーダン「ジェセル王の階段ピラミッドは、エジプトの歴史上、最初の巨大ピラミッドです。ピラミッドができるまで、王の墓は、マスタバと呼ばれる台形の建物でした。ジェセル王は、そのマスタバを6段重ね、階段ピラミッドを作ったのです。」

階段ピラミッドには、さまざまな宗教施設が組み合わされています。完成当時の姿を、コンピューターグラフィックスで再現します。ピラミッドは、高さ10メートルの壁に囲まれていました。その内側には、神殿や礼拝堂、祭壇などが設けられていました。これらは、ピラミッド・コンプレックスと呼ばれ、その後のピラミッドに受け継がれていきました。階段ピラミッドは、最初のピラミッドであると同時に、エジプトで初めて、石が使われた巨大建造物でもあります。使われた石は、長さ80センチ、厚さ20センチほどの小さなものでした。これは、頁岩けつがんと呼ばれる種類の石で、階段ピラミッドの周辺の地層から切り出されました。外側の石は、中心に向かって斜めに積む工法が用いられました。内側に寄り添うように積むことで、石が外に崩れないようにしたのです。その後、より巨大なピラミッド建造をめざし、石積みの技術は進化していきます。

スネフェル王の崩れピラミッドと屈折ピラミッド

ピラミッドの巨大化を推し進めたのは、ジェセル王の4代あとの王、スネフェルでした。スネフェル王は、大きさとともに、ピラミッドの形も変えさせました。それは、空から大地を照らす太陽の光の形のように、真っ直ぐな稜線を持つ、ピラミッドの建造です。

これは、スネフェル王が造った崩れピラミッドです。いまは崩れていますが、完成当初は真っ直ぐな稜線を持つ、四角すいのピラミッドでした。地上16メートルのところにある入口。中に入ると、下へ下へと続く通路が、58メートル続きます。ピラミッド内部にある部屋は、一つだけです。縦6メートル、横幅2.6メートルほどの広さです。部屋の屋根は、内側にせり出す特殊な工法が用いられています。持ち送り積みと呼ばれる工法で、部屋が崩れないよう、重量を左右に分散させるためのものです。

ピラミッドのまわりにも変化が見られます。左側に広がる緑地は、その昔、ナイル川の川岸でした。ナイル川とピラミッドをつなぐ一筋の道の痕跡が見られます。これは、参道の跡です。参道の先には、河岸かがん神殿と呼ばれる建物がありました。いまは跡形もありませんが、この神殿は、亡くなった王のミイラを作る場所でした。ピラミッドと参道、そして神殿。これが、典型的なピラミッドの建築様式となっていきます。しかし、ピラミッド本体は、技術が未熟なために、外壁が崩れ、今の姿になりました。

こちらは、屈折ピラミッド。やはりスネフェル王の造ったものです。高さ49メートルの地点で、突然角度が変わっている不思議なピラミッドです。屈折ピラミッドでは、それまでよりも、数倍大きな石を使っています。表面の石の大きさは、一辺が2メートル以上あります。より高いものを造ろうとしたことをうかがわせます。スネフェル王が造らせた二つのピラミッド。ともに失敗に終わったピラミッドでした。

ジャン・ピエール・ウーダン「崩れピラミッドは、階段ピラミッドで使われた石材を斜めに積む工法が用いられました。ところが、石材をより大きいサイズの石にしたため、重さに耐えきれず、完成直後に崩れてしまったと考えられています。その問題は、同時並行で作られていた屈折ピラミッドへつながれました。その結果、急きょ設計を変更し、ピラミッドの角度を47度から43度に変えたと言われているのです。」

屈折ピラミッドの設計変更は、角度だけではありませんでした。それは、石の積み方にも及んでいます。建設当初は、石材を斜めに積んでいましたが、内部に圧力がかかり過ぎ、崩れ落ちることが明らかとなったため、49メートルを境に、水平に積むことにしたのです。

 

ついに完成した四角錘の赤ピラミッド

失敗は成功の母。古代エジプトの人々は、ついに、太陽光線のように真っ直ぐな稜線を持つピラミッドを完成させます。赤ピラミッドです。使われた石材の色が赤く見えるところから、この名がつけられました。形は、スネフェル王が目指した正四角すい。高さ105メートル、底辺の長さは、120メートルあります。 ピラミッドの内部構造にも、大きな変化が見られます。通路を下ると、巨大な空間が次々現れます。部屋の数は全部で三つ。ここは一つ目の部屋です。屋根の高さは12.3メートルあります。二つ目の部屋には、エジプト考古庁が取り付けた階段があります。それは、高さ10メートルにある、最後の部屋に入るためです。階段を登り切った先にある、三つ目の部屋。このピラミッドの中で、一番大きな部屋です。屋根の高さは15メートル。4階建てのビルに相当します。そして、三つの部屋の屋根は、いずれも持ち送り積みで作られています。 同じ石積みでも、崩れピラミッドの時代と比べると、技術の精度が格段に上がっていることがわかります。ピラミッドの建造技術は、この赤ピラミッドで確立されたのです。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「巨大ピラミッドの建造は、ジェセル王の階段ピラミッドから始まりました。そして、崩れピラミッド、屈折ピラミッドを経て、ようやく目指す形にたどり着きます。これらの集大成といえるのが、ギザの大ピラミッドなのです。」

古代エジプト人の建築技術と幾何学

人の手だけで石を切り、天高く石を積み上げた、古代エジプトの人々。彼らは、いったいどのような技術を持っていたのでしょうか。これは、古代エジプトの墓です。ここには、古代の技術者や職人たちの姿が描かれています。古代エジプトでは、様々な分野で、卓越した技術を持った職人たちがいました。

これは、古代エジプトの人々が使った、物差しです。長さは、およそ52センチ。古代の人々が考案した、1キュービットと呼ばれる長さです。この単位は、約3000年のあいだ、使われ続けました。

技術者たちは、方位を正確に割り出す方法も考え付きます。それは、北の夜空を観測して導き出されました。まず、円形の壁を作り、観察者はその中心に立ちます。壁は水平でなくてはなりません。視線を固定し、目立つ星に注目し、上る位置と沈む位置を記録し、その中心を北と特定しました。

高度な幾何学も持ち合わせていました。これは今から3650年前に書かれた、世界最古の数学の問題集です。割り算や掛け算はもちろん、面積や容積を求める例題が、87記されています。その中には、ピラミッドの底辺の高さから、角度を求める問題までありました。ピラミッドをはじめとする巨大建造物は、高度な技術と数学にもとづいて、建造されていたのです。

ピラミッド建設に人々を動員する仕組み

さらに、古代エジプトには、多くの人々をピラミッド建設に駆り立てる興味深い仕組みがあったことが明らかになっています。イギリスのエジプト学者によると、ピラミッドの建設は、ナイルが氾濫した時期に行われた、公共事業だったというのです。ナイル川は、毎年7月から9月の3か月間増水し、氾濫を繰り返しました。この間、農地はすべて水没し、人口の大半を占める農民たちは、一時的に仕事を失いました。そこで考え出されたのが、ピラミッドの建設でした。ファラオは、農民たちを集め、衣食住を保証し、ピラミッド建設に積極的に取り組めるような環境を整えたというのです。

謎に包まれた石の積み上げかた

古代エジプト人は、建築技術を生み出し、道具を開発し、さらに、人々を働かせる仕組みを作り上げました。しかし、具体的にどのような方法で石を積み上げたのか、その建造方法は、いまだに謎に包まれています。

フランス人建築家、ジャン・ピエール・ウーダンさん。58歳。1999年から10年間に渡り、ピラミッド建造の謎に挑んできました。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「初めてピラミッドを見たとき、山のように積まれた石に驚きました。私は考古学者ではなく、建築家です。自分ならどうやって作るかと考え、研究を思い立ちました。」

大ピラミッド

ウーダンさんが謎に迫ったのは、エジプト最大の規模を誇る、大ピラミッドです。底辺の長さは230メートル、高さ147メートル。40階建てのビルに相当します。これまでのピラミッドを大きく上回る、平均2.5トンの石灰岩が、300万個積み上げられています。四隅の角はちょうど90度。4つの面は、少しの誤差もなく、東西南北を向いています。

完成当初、ピラミッドは白い石灰岩の化粧石で覆われていました。しかしその後、石は剥ぎ取られ、今の姿になりました。内部には三つの部屋があり、通路で結ばれています。入り口を入り、1メートル四方の通路を進むと、突然巨大な空間が現れます。高さ8.7メートル、大回廊です。人が歩くためだけに作られたとすれば、あまりに巨大です。左右の壁は、7センチずつ、内側にせり出しています。大回廊の全長は、46.7メートル。

それを登り切った先に、最も大きな部屋、王の間があります。広さは、たたみ30畳ほどです。部屋の中には、縁の欠けた石棺が残されているだけです。この部屋の壁は、赤みを帯びた石で作られています。花こう岩です。日本では一般的に御影みかげ石と呼ばれ、墓石などに使われている、固く、重い石です。花こう岩は、天井にも積まれています。石のブロックの重さは、ひとつ60トン。クレーンもない時代に、人の力で、どのように持ち上げたのでしょうか。しかし、これまでに分かってきた、いくつかの事実もあります。

王の間の上にある、重量軽減の間。花こう岩で作られたこの空間は、18世紀に発見されました。この天井に、古代の文字が記されていました。王の名前でした。古代エジプトの文字で、クフと書かれています。クフ王は、紀元前2589年に即位したファラオです。この発見で、大ピラミッドは、クフ王により建設されたことがわかりました。そして、歴史家ヘロドトスは、この場所を訪れ、大ピラミッドは20年で作られたと記しました。

近年発見された労働者の街

さらに近年、大ピラミッドのすぐそばで、画期的な発見がありました。ピラミッド建設に従事した労働者たちが暮らした、街や墓の跡が発掘されたのです。街の規模や発見された人骨の数などから、建設に携わった労働者は、およそ4,000人だったことが明らかになりました。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「ピラミッドは、4,000人の専門家たちが中心になって、建造されたといわれています。彼らは奴隷ではありません。王は労働者たちへ、報酬としてパンやビールなどを与えていました。街には、労働者の家族も暮らしていました。合わせると、25,000人ほどの人々が、幸せに暮らしていたと推定しています。」

これは、ピラミッドのそばから発掘された夫婦の石像です。労働者は、家族と共に暮らしながら、ピラミッドの建造に携わっていました。わずか4,000人が、たった20年で作り上げたピラミッド。いったい、どのような方法で、この巨大建造物は造られたのでしょうか。

 

直線傾斜路説

ピラミッドの謎に挑む、ジャン・ピエール・ウーダンさん。ウーダンさんは、これまで考えられてきた建造方法を、再検証する事から始めました。これまで語られてきた建造方法には、主に二つの説があります。直線傾斜路説と、らせん傾斜路説です。なかでも、最も有力とされてきたのが、直線傾斜路説です。これは、ピラミッドに向けて真っ直ぐな傾斜路をつけ、石を運び上げたとするものです。しかしウーダンさんは、この説には大きな問題があると考えています。

ジャン・ピエール・ウーダン「人間が、2トンもの石を引き上げることができる角度は、5度が限界だと考えています。その角度にもとづいて直線傾斜路説を検証すると、矛盾が生じるのです。」

5度の角度で、傾斜路を再現してみます。ピラミッドの高さが上がるにつれ、傾斜路は、どんどん伸びていきます。そして、頂上に達するころには、1.6キロもの巨大なものになってしまうのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「ここが、ピラミッドからちょうど、1.6キロ離れた場所です。とても遠いですよね。ここから傾斜路を造るには、ピラミッドとほぼ同じ量の石材が必要です。とても現実的なやり方とは思えません。」

さらにこの説には、別な問題もあります。それは、ピラミッドから500メートルほど離れたところにある、石切り場との関係です。実は、ピラミッドの大半を占める石灰岩は、この場所から切り出されたものです。

ジャン・ピエール・ウーダン「ここにある傷が見えますか。これは、古代の人々が、石を切り出したときに付いた跡です。彼らは、青銅のノミを使って、このように石を切り出しました。」

石切り場と、傾斜路の関係を見てみます。石切り場が傾斜路の途中に位置するため、石を運び上げるには、大きく迂回することになるのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「これではあまりにも効率が悪すぎます。ピラミッドが20年で完成したとすれば、とても間に合わないはずです。」

らせん傾斜路説

次にウーダンさんが検証したのは、らせん傾斜路説。らせん状の細い傾斜路で、石を運び上げたというこの説。石切り場から離れることもなく、石材の量も、少なく抑えることができます。しかしウーダンさんは、この説にも疑問を投げかけています。そもそもエジプトは日中の気温が50度にもなる灼熱地獄。強い砂嵐もしばしば吹き荒れます。そんな中、細い傾斜路で作業を続ければ、転落などの事故が頻発し、効率を妨げかねません。さらにウーダンさんは、建築学的にも問題があると指摘します。

ジャン・ピエール・ウーダン「ピラミッドの稜線は、一直線です。そのためには、地上から常に測量し続けることが必要です。しかし、外側に傾斜路を作ると、ピラミッドが歪んでしまうのです。」

つまり、外側に傾斜路があると、稜線の多くが隠れて測量ができず、結果的に、稜線が曲がってしまうというのです。

ピラミッドに残る建造の痕跡

では、いったい古代エジプトの人々は、どのようにして300万個もの石を効率的に積み上げたのでしょうか。

ウーダンさんは、ある説を思いつきました。そのきっかけとなったのは、ピラミッドに残る、白い筋でした。巻きつくように、斜め右方向に延びていました。さらに、その白い筋の延長線上にある窪みも、その説を思いつく重要な手掛かりになりました。これまでは、ただ単に石が崩れただけだと思われていたこの窪みに、別の意味があるのではないかと考えたのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「ピラミッドに残る不思議な痕跡から、私が思いついたのが、内部トンネル説です。ピラミッドの中に、トンネルが造られ、それを利用して石を運んだのではないかと考えたのです。」

ウーダンさんの内部トンネル説を、コンピュータ・グラフィックスで再現してみましょう。まず、ピラミッドの3分の1の高さまでは、直線傾斜路を使い、石を積み上げます。そして、その後、残り3分の2は、内部トンネルを使い、石を運び上げます。内部トンネルは、ピラミッドの側面に、およそ4度の傾斜でらせん状に造られています。光の点は、石を運ぶそり。嵐や気温などに左右されず、効率的に石を運び上げることが可能になります。そりで運び上げられた石は、ピラミッドに敷き詰められていきました。一定の高さまで造り上げると、トンネルを伸ばします。そして、再び石を運び上げ、積んでいきます。この作業を繰り返し、頂上まで石を積み上げていきます。そして同時に、外側の傾斜路は解体され、ピラミッド本体の石材として、再利用されました。このことで、石を切り出す量が抑えられ、効率よく建設ができました。

トンネルの角にも、ある工夫があります。正方形の広場が造られ、そこに石が引き上げられてきます。すると、広場で待機していた人々が、釣瓶つるべのような機械を使い、素早く方向転換させます。そして石は次のチームに引き継がれ、スムーズに引き上げられていったのです。ウーダンさんによると、この内部トンネルの総延長は、1.6キロに及びます。そして、今もピラミッド内部に眠っているというのです。

内部トンネルの実在

内部トンネル説は、はたして、どこまで現実的なものなのか。ウーダンさんは専門家に意見を求めました。エジプト考古学の世界的権威、ボブ・ブライアー博士です。ブライアー博士は、ウーダンさんをある遺跡に案内しました。アブ・グラブ神殿。ピラミッドとほぼ同じ時代に建てられた神殿です。いまは破壊され崩れていますが、100年前にドイツの調査隊が訪れたときは、まだ形をとどめていました。実はこの遺跡に、内部トンネルの痕跡が残っているのです。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士「ここが、最初の曲がり角です。いま我々が歩いているのが、内部トンネルの跡です。見てください。この石は、もともとトンネルの天井にあったものです。」

ドイツ隊の調査報告書をもとに、神殿を再現してみます。入り口から続く内部トンネルがあったことがうかがえます。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士「この図を見てください。私たちが今通ってきたところが、内部トンネルの跡です。このあたりに崩れ落ちている石のブロックは、もともとは内部トンネルの天井や、壁に使われていたものだと考えられます。」

ブライアー博士によると、内部の通路は高さ5メートル。幅4メートルほどと推定されています。ピラミッドと同じ時代に、内部トンネルを造る技術は、確かに存在したのです。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「私は、古代エジプト人が、内部トンネルを造る技術を持っていたと確信していましたが、実際にトンネルの痕跡を目の当たりにして、本当に驚きました。」

内部トンネルの科学的な裏付け

ウーダンさんが次に向かったのは、パリ。過去に行われたピラミッドの調査結果を聞くためです。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「実は、20年前に、ピラミッドの科学的な調査が行われたことを知りました。これから、当時の研究者の一人に会いに行きます。」

1986年。フランス隊が、2年間にわたり、ピラミッドの科学的な分析を行いました。その際使われたのが重力計。わずかな重力の変化を測定し、内部構造を明らかにする目的でした。調査隊は、ピラミッドの内と外、754か所で、重力を測定しました。

パリ郊外にある、フランス最高学府のひとつ、国立理工科学校。ここに、当時調査に携わった人物がいます。フゥイ・ドゥオン・ビュイ博士。フランスを代表する物理学者です。これは、ビュイ博士がまとめた論文です。実はこの調査で、ピラミッドの内部に、らせん状の空洞があることがわかったのです。

フゥイ・ドゥオン・ビュイ博士「ピラミッドに15%もの空洞があったんです。それは、らせん状でした。」

ジャン・ピエール・ウーダン「らせん状の構造だったのですね。」

これは、調査結果を図式化したものです。赤い四角は密度が低かった場所。つまり、空洞を表しています。線で結ぶと、一本に繋がる可能性のあることがわかったのです。科学的解析を加え、真上から見ると、らせん状の空洞が現れました。ウーダンさんの唱える、内部トンネルにとてもよく似ています。

物理学者 フゥイ・ドゥオン・ビュイ博士「調査を行った当時は、ピラミッドの内部に、何からせん状のものがあることしかわかりませんでした。ところが、ウーダンさんの話を聞いてはっとしました。それはまさに、私が長年探し求めていた答えだったのです。ピラミッドには、間違いなく内部トンネルが存在する、と私は思います。」

ジャン・ピエール・ウーダン「調査結果の図を見せてもらい、その形が私のアイデアとそっくりで驚きました。重力計の調査は、内部トンネルの可能性を科学的に示したのです。」

60トンの花こう岩の謎

300万個もの石を効率よく積み上げる方法に、独自の答えを出したウーダンさん。ところが、内部トンネルでは運ぶことができない巨大な石が、ピラミッドには使われています。それは、ピラミッドがある場所から、ナイル川を1,000キロさかのぼった町から運ばれました。アスワンです。アスワンは、古代エジプト時代、最も南に位置した国境の町でした。その石切り場が、今も残っています。ここでは、花こう岩を切り出していました。花こう岩は大変硬い石で、巨大な石の柱などにも使われました。ここで切り出された巨大な花こう岩が、ピラミッドに使われているのです。

ウーダンさんは、その花こう岩を間近で見るため、ピラミッド内部へ向かいました。花こう岩は、地上43メートルに作られた、王の間の建材として使われています。王の間には、石棺がひとつ、残されています。しかし、王のミイラは見つかっておらず、この部屋の目的はわかっていません。王の間は、少しのすき間もなく、部屋全体が花こう岩で覆われていました。中でもウーダンさんを驚かせたのは、天井にある花こう岩の巨大なブロックです。一本の重さは、60トンあるといわれています。王の間の上にある重量軽減の間は、5層構造になっています。そこにも花こう岩が使われており、全部で43本の花こう岩が積み上げられています。ウーダンさんは、60トンの花こう岩のブロックを間近で見るために、重量軽減の間に上っていきました。ここは、その最上部です。三角の屋根の下に横たわっているのは、古代エジプトの人々によって運び込まれた、花こう岩の巨石です。

ジャン・ピエール・ウーダン「王の間の、天井に積まれた花こう岩を間近で見ると、60トンの大きさに改めて圧倒されます。どのようにして運び上げたのか、大きな謎です。」

大回廊エレベータ説

いったいどのようにして、60トンもの石を運び上げたのか。ウーダンさんが着目したのは、王の間の手前にある、大回廊です。この巨大な空間は、いったい何なのか。これまで、何らかの儀式に使われたという説や、王の魂が通る道だとする説などが唱えられてきました。しかし、答えは出ていません。

ウーダンさんは、この大回廊に60トンの石の謎を解くヒントを見つけました。それは、大回廊に残された、いくつかの不可解な点でした。その一つが、大回廊の角度です。調べてみると、およそ26度あることがわかりました。人が歩く通路だとすれば、あまりにも急勾配です。さらに、足元にある石の側面に、前後に擦られたような傷がありました。傷跡は、回廊の入り口から出口まで、一直線に残っています。そして、大回廊の上。内側にせり出した石。その3段目の石の列だけが、傷ついて、角が欠けていました。これらの痕跡をもとに、ウーダンさんは、大胆な仮説を立てました。それは、大回廊に台車が走っていたのではないかというものです。大回廊に残る傷は、台車が通った際にできたもの。そして、急勾配だったのは、滑りをよくするためだったと考えたのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「私がこのアイデアを思い付いたのは、エッフェル塔にあるエレベータからでした。」

エッフェル塔のエレベータには、乗客が乗る籠をスムーズに持ち上げるための、釣り合い重りがつけられています。ウーダンさんは、この仕組みが、ピラミッドの中にもあったと考えたのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「釣合い重りが、人を乗せた籠を少ない力で上下させることができます。この原理を使えば、60トンの石を運び上げることができるのではないかと思ったのです。」

ピラミッドの断面図で説明しましょう。大回廊には、釣り合い重りの台車が走っています。反対側には、60トンの石が乗った運搬台が、ロープで結ばれています。労働者は、釣り合い重りの力を借りて、運搬台を引き上げます。このシステムが、巨大な石を合理的に運び上げる唯一の方法だと、ウーダンさんは考えたのです。引き上げられた60トンの石は、王の間の上まで運ばれ、少しのすき間もなく精緻に並べられました。ウーダンさんは、王の間の上にある43本の60トンの石は、この方法で引き上げられたと考えています。エレベータと同じ仕組みを使ったとする、このアイデア。建築家ならではのものでした。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士の結論

ウーダンさんは再び、エジプト学の権威、ボブ・ブライアー博士を訪ね、エレベータ説への意見を求めました。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士「釣り合い重りで、60トンの石を持ち上げたということですが、何か証拠がありますか。」

ジャン・ピエール・ウーダン「ここを見てください。一直線に伸びる長い傷と共に、黒いしみが残っています。」

ウーダンさんは、黒いしみが、台車の滑りをよくするためのものと考えました。これは、巨大な坐像を運ぶ様子が描かれた壁画です。中心に、液体を注ぐ人物がいます。古代エジプトでは、重いものを運ぶ際に潤滑油を使っていました。この黒いしみは、まさにその潤滑油の跡に違いないと考えたのです。ウーダンさんは、ほかにも、自分の説の裏付けとなる痕跡を示しました。それは、大回廊の左右にある長さ50センチほどの不思議な溝です。ここに木枠が入っていて、台車のスピードを抑える役割を果たしたと推測したのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「痕跡はまだあります。壁の3段目の溝を見てください。」

ボブ・ブライアー博士「傷がずっとありますね。」

ウーダン「そうです。壁に沿って続いています。」

ブライアー博士「どうしてなのですか。」

ウーダン「ここの部分で、台車を支えていたのではないかと考えています。」

せり出した岩の3段目だけが欠けているのは、台車が進む際に、角が当たったためだというのです。さらに、大回廊の奥、今は階段が取り付けられている場所にも、痕跡がありました。以前ここには、V字型の切り込みが入っていました。ウーダンさんは、角にロープが当たると切れてしまうため、滑りやすくなるよう、切込みを入れたと考えています。ブライアー博士は、ウーダンさんの仮説を次のように結論付けました。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士「このアイデアは、にわかには信じがたいのですが、さまざまな証拠がありました。遺されているのは強度の問題です。台車は壊れないのか、ロープは切れないのか。そうした問題が解決できれば、この説の信ぴょう性が高まります。」

機械工学シミュレーションによる強度の実証

<パリ>ウーダンさんは、残された課題、強度を検証するために、ある企業を訪ねました。ヨーロッパを代表する巨大企業グループのソフトウェア会社です。ここでは、実際のものを使わなくても、コンピュータ上で強度を検証できる、画期的なソフトを開発しています。北京オリンピックのメイン会場の強度計算を担当し、その名を世界に知らしめました。ウーダンさんの説の検証を担当したのは、リシェール・ブライトナーさんです。ブライトナーさんは、古代エジプトで使われた素材を前提に、シミュレーションしました。

木材は、当時盛んに使われていた、レバノン杉。ロープは、最も強度のあったナツメヤシ。そして、釣り合い重りは、ウーダンさんの計算に従い、24.5トン。ブライトナーさんは、こうした条件を入力し、ウーダンさんの仮説をコンピュータ上で検証し続けました。画面右にあるのが、大回廊と釣り合い重りの乗った台車です。左には、ロープで結ばれた60トンの石があります。白い三角は、労働者を表しています。検証を繰り返した結果、木材が壊れることもなく、結ばれたロープが切れないこともわかりました。さらに、60トンの石を引き上げた場合、最低600人必要なものが、わずか158人で可能なこともわかりました。

コンピューター技師 リシェール・ブライトナー「この仮説は、不可能なものではありません。もちろん、その通りだとはいえませんが、機械工学の面からは、すべて説明がつきます。真実味があります。」

ピラミッドの建造法の振り返り

ウーダンさんの説を、コンピューター・グラフィックスで振り返ります。建設現場の周囲には、ナイル川につながる運河や港などが造られました。港の横に作られた、労働者の町です。労働者とその家族、そして、商人たちが暮らしていました。その数は、25,000人ほどと推定されています。

町のすぐ隣には、石を運び込むための港がありました。ナイル川を挟んで対岸にある石切り場から、ピラミッドの表面を覆う化粧石が、舟で運ばれています。そして、王の間で使われる花こう岩のブロックも、舟で運ばれてきました。

ピラミッドを形作った石灰岩のほとんどは、近くの石切り場で切り出されました。その数、およそ300万個。ピラミッドは、石切り場からほど近く、地盤がしっかりした場所を選んで建てられました。そこに向かって、石の運搬路が造られました。ウーダンさんによると、3分の1の高さまでは、この直線の傾斜路を使い、石を積み上げたといいます。

内部トンネルの入り口は、ピラミッドの角にありました。幅2.2メートル、高さ5.5メートル。平均2.5トンの石を載せたそりを、労働者8人が一組となり、引き上げていきました。トンネルは、古代エジプトの伝統的な工法、持ち送り積みで造られました。

王の間を形作る花こう岩は、まずは傾斜路で運び上げられました。台形状の構造物は、花こう岩をさらに上に運び上げるための、巨大な装置です。装置の上にあるこの木枠を支点にして、6本のロープがつながり、その先に、花こう岩を簡単に運び上げるための釣り合い重りがありました。釣り合い重りが下がっていくのに合わせて、運搬台に乗った、60トンの花こう岩が引き上げられます。最上部まで運ばれた60トンの石は、王の間の上まで運ばれ、少しのすき間もなく積み上げられていきます。一段造るたびに装置そのものも高くし、全部で43本、すべてこの方法で積み上げられました。

王の間が完成すると、あとは内部トンネルで頂上まで石灰岩を積み上げるだけです。内部トンネルを使って石を運び上げるグループが、角の広場までやってきます。すると、広場で待機していたグループが、石を方向転換させます。そして、石は次の内部トンネルで待機するチームによって、再び引き上げられていったのです。極めて効率的な方法でした。

ピラミッドの側面には、内部トンネルに沿って足場が組まれています。これは、トンネルで石を運び終えた労働者たちが戻ってくるための、通路です。単純な繰り返し作業は、労働者にとっても働きやすく、作業の管理もしやすい方法でした。

 

キャップストーンの設置

最後の仕上げは、頂上の石、キャップストーンの設置です。ここでもウーダンさんは、斬新なアイデアを出しています。足場が狭くなるなか、5トンもの石を積み上げる方法です。木で柱を組み、キャップストーンの結び付けたロープをねじることで、徐々に引き上げていきます。一定の高さに上がったら、組んだ柱をさらに高くして、同じ作業を繰り返します。

最後に、稜線上にあるコーナー部分を塞ぎ、側面の足場を外しながら、ピラミッド全体の仕上げを行います。

こうして、20年余りの間にピラミッドを完成させることができたというのが、ウーダンさんの説です。

稜線上の窪みの初調査

ピラミッドの稜線上にある窪み。ウーダンさんは、ここに内部トンネルを裏付ける手がかりがあると信じていました。

建築家 ジャン・ピエール・ウーダン「6年前、写真を見て、稜線上に窪みがあることを知りました。そこが、内部トンネルが交差する場所だと感じていました。」

ウーダンさんは、エジプト考古庁に窪みの調査を申請。しかし、考古学者ではないために、許可が下りませんでした。そこで、考古学者のボブ・ブライアー博士に、専門家の視点での調査を依頼しました。

エジプト考古学者 ボブ・ブライアー博士「あなたが望むことを教えてください。」

ウーダン「窪みの形や、床に敷かれた石の大きさを測ってきてください。」

ブライアー博士「わかりました。詳しく調べて戻ってきます。」

ブライアー博士が、地上から87メートルにある窪みに向かって登っていきます。登頂が全面禁止されているピラミッド。窪みの調査の許可が下りたのは、初めてです。

登り始めてから1時間半。ようやく窪みにたどり着きました。そこには、高さ8メートルもの、直角に切り込まれた石積みがありました。その周りには、平らな空間が広がっています。大きさは、縦横ともに、およそ5メートル。畳8畳ほどです。ここが、ウーダンさんの考える、内部トンネルが交差する場所なのでしょうか。ウーダンさんの説では、稜線一つに対して5か所、トンネルが交差する場所があります。

ブライアー博士は、さらに、広場から奥へ続く空洞があるのを見つけました。この空洞が、内部トンネルの一部なのでしょうか。

ブライアー博士「暗いぞ。これは非常に興味深い場所です。こんなにも大きな空洞があるとは知りませんでした。」

そこには、高さ2.5メートル、横幅3メートルほどの空洞が続いていました。ところが、奥に3メートルほど進んだところで、行き止まりになりました。しかし、さらに壁の向こうに通じている溝がありました。

ブライアー博士「空気が抜けているか見てみましょう。この溝が、どこまで続いているのかわかりません。ウーダンさんは、大きな興味を示すと思います。」

謎の窪み。そこには、内部トンネル説を裏付けるかのような不思議な空洞が、確かに存在したのです。

ウーダンさんは、再びパリのソフトウェア会社を訪ね、検証に入りました。エンジニアたちは、窪みの映像やデータをコンピューターに入力し、実際のものと同じ石積みを再現しました。そして、ブライアー博士の立っていた左右の石の先に、トンネルが続いている可能性を見出したのです。

ジャン・ピエール・ウーダン「この2つの石を外してください。そうしたら、内部トンネルが見えてくるんです。ちょうど石の後ろ側にある。私が10年間探し求めてきた内部トンネルが、あの石のわずか1メートル後ろにあるかもしれないんです。」

建築家 ウーダンの現在

ピラミッド建造の謎に挑んだウーダンさんは、今も、自宅で検証を続けています。

ジャン・ピエール・ウーダン「トンネルが見えなかったのは、古代エジプトの人々が、入り口を石で塞いでしまったからだと考えています。私は、今後もピラミッドの謎に挑んでいきます。内部トンネルは、必ずあるに違いないからです。」

ウーダンさんの説は、子供向けの絵本になるほど、話題になっています。謎に挑むウーダンさんの姿に、子供たちからの応援の声が、今日も届いています。

今から、およそ5000年前。最初のピラミッドが、エジプトの砂漠地帯に建造されました。そして、ファラオの永遠の命への願いが、その姿をより巨大なものへと変貌させていきました。古代の技術者たちは、少しでも天に近づこうと試行錯誤を続けました。いまも、人々の好奇心を刺激し、謎解きへと駆り立てる不思議な巨大建造物、ピラミッド。永遠の謎への挑戦者たちを、今日も待ち続けています。≪終≫

広告

トップ