私という人間

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水谷修 夜回り先生 ドキュメンタリー

イントロダクション

皆さんこんにちは。元気がなくて、ごめんね。
このもう…何か月になるかな、2月から、7か月ほとんど、寝てません。昨日も寝たのは3時、4時ごろか。
起きたのが6時ですから、でも2時間寝れた。
いま、先生の日常っていうのはほとんど、睡眠時間は、1時間か、そこら。あとは飛行機とか、電車の中で寝るだけ、という生活をしてきました。
で、先生自身、リンパ腫という病気です。がんです。
もうその進行も、相当ひどい状況で、もうこうやって立ってても、やっとの状況です。

高校生じゃないよな?まさか10代?
10代か、まずいよ、早く帰れ。

夜の繁華街を回っては、子供たちに話しかける高校教師。その人の名前は、水谷修さん。

ごめんねー、18歳未満の子いたら帰ってくれー。
まずいぞー。
18歳未満の子は帰ってくれなー。

非行、薬物乱用、リストカット、引きこもり。親の知らない間に、子供たちは生きることに戸惑い続けています。

「たすけて、たすけて、たすけて、死にたい、死にたい、死にたい。」「水谷先生、私はもう限界です。」

(電話)なんか、もう凄い絶望的になっちゃって…。

うん…。

(電話)一回、飛び降り自殺の…未遂を、したことがあって。

うん、うん…。

現実から逃げ出し、薬物にすがり、自らを傷つける。そんな子供たちを救い続ける、熱血教師。

どうだ、シンナーやめたくなった?ますます。
やりたくなっちゃった?

もう一回だけしたい。

頼むから、勘弁して。

しかし、思いはすれ違います。

自動販売機を蹴り飛ばす少女

うぜえんだよ!
ちげえよ、水谷だよ!

自分の居場所が見つからない子供たちは、いったいどこに向かおうとしているのでしょうか。

2週間分全部飲んだの?
救急車呼ぶぞ。

愛を求め、心の闇に逃げ込んだ多くの子供たちが選ぶ、最終手段。

死ぬな…先生ついてる。
死ぬな。明日作ろう。

魂の講演

13年ものあいだ、たった一人で薬物の恐ろしさを訴え続ける高校教師が見た、現実の世界。なぜ薬に救いを求める子供たちは、増え続けるのでしょう。

頭撫でては泣き、ほっぺた触っては泣き、手を握っては泣き、抱き締めては泣き、頭くっつけては泣き、もう二人で泣くことしかなかった。
泣いて泣いて泣いて泣いて。

しかしその体はがんに蝕まれ、余命はもう、あとわずか。なぜ、どうして、先生はそこまでするのでしょうか。自らの命を懸けた男の闘い。

みんな覚えとけ、薬物に明日はない。
薬物入った男の子、女の子、助けれる人間は、日本に多分十数名しかいない。
それが日本の現状です。
先生はその中の多分中心的な一人でしょう。
その先生が死んだら、何人助けれなくなる。
だからせめてお前たちは、薬物使わないでくれ。

夜の社会と闘い続けた一教師、真実の記録。完全実録、夜回り先生。若者たちを救い続けた熱血教師、13年の闘い。

夜回り先生

お前、クスリやってないよな。

やってないから。

歯は大丈夫だな。

クスリなんか、やんねえよ。

俺もやんねえ。

出回ってるだろ。

渋谷のほうが出回ってない?

横浜は大丈夫か?

大丈夫。

バッテンいくら?いま。バツ。
錠剤型の覚せい剤、ピンク色とか。

シンナーしか知らない。

シンナーか。シンナーやった?

やってない。

歯も溶けてねぇな。


クスリとか噂は?この辺。

クスリの噂は…ないっすね。
ああ、あの、五番街で売ってるとは聞いたことがある。

シンナーは?
歯、歯。
ほら歯、開けれねえじゃん、口。

いや、僕シンナーなんつってないですよ。

…早く帰れ。


高校教師、水谷修、48歳。毎日夜の街を一人で歩いては、子供たちに声を掛けて回っているのです。

ごめんねー。高校生じゃないよな。
高校生?

水谷修…。

帰ろう。水谷修って、なんで知ってんの?

だから、テレビで見たってゆってんじゃん。

高校生、たばこ吸ってたら補導だよ。

18!

はい、たばこ没収!

18!

たばこは、未成年はダメなの。

18!


Sは?

えっ?

Sやった?

なんで?

はい、名刺やるから連絡しろ。
なんかあったら危なすぎる。

気になる子には、自宅の電話番号と、メールアドレスが書かれた名刺を手渡します。夜回りは、子供たちとの出会いの場だと、先生は言います。


なにやった?
Sもやった?

バツ、バツ。

バツだけ?
バツも白いバツだろ。

ん?

白!

なんでわかるの?

このへん白出回ってる。
白ウソだぞ。
あれ覚せい剤に混ぜ物してるだけだよ。
ヤーバーっていうんだよ。
使うな、本当にやりたくなったら電話しな。

うん。

もう一回まわってくる。
帰ってな。


深夜11時半、街角にたむろする若者たち。先生は躊躇することなく、声を掛けます。

ごめんね。
悪い、この子たち高校生じゃないよね。
君はいくつ?正直に。

13。

えっ?

13。

13!?

13。うそ。14。

何が、21のくせして。
本当は20代だろ。

キャハハ…

だってどう見たって…

頭ごなしにではなく、対等に子供たちと接します。

本当はいくつよ?

本当に14なんだけど。
本当にまだ、中学3年生です。

夜10時を過ぎたら、18歳未満は補導の対象です。

でも親は、心配しない?
ちょっとじゃ、親に電話。はい電話番号。

寝てる、寝てる。

早く。駅まで送っていく。
はい、急げ。

夜回りとは、夜の街でたむろする子供に注意を促し、帰宅するよう呼びかけること。薬物や危険な大人たちと出会うのを、未然に防ぐためです。先生は夜の街から、子供をなくそうとしているのです。

じゃあな。

お疲れさまでーす。

もう会わないようにしろよ。

はい。

教師生活のほとんどを、非行や薬物問題に捧げる水谷先生。時には自宅まで送っていくこともあるそうです。

今の子供たちは、覚せい剤や大麻など、ドラッグを信じられないほど簡単に手に入れ、遊び感覚で楽しむと聞きます。

ここが有名な、ここともう一本先が薬物の売人がいる場所。

薬物汚染は中高生にまで及び、ここ数年で急激に拡大しています。先生は子供たちと薬の接点をなくすため、夜回りを続けているのです。

先生に気が付くと、ドラッグの売人たちはその場を離れます。13年間の夜回りで、先生を知らない売人はほとんどいなくなりました。

今日は朝まで回るよ。
NO DRUGね。

NO WAY。

夜の世界では、水谷先生は邪魔な存在です。

水谷修「13年、子供から怖い思いにあったことはないね。殴られたこともなきゃ、ケンカ売られたこともない。ただね、暴力団は、そうはいかないから。」

子供たちを助け出すため、これまで数多く、危険な目に遭ってきたと先生は言います。左のわき腹を刺されたり、右手の親指を潰されたり。それにもかかわらず先生は、目についた子供たちにとって害になるもの、そのすべてを取り除きます。自分の手で、ひとつひとつ。先生はこうやって、13年間、夜の街を一人で歩いてきました。子供たちのために。

水谷修「でも本当に、夜を夜にしてくれたらねえ。みんな真っ暗で、お店なんか何にも開いてなくて。そしたら、暇でいいんだけどな。」

この日自宅に戻ったのは、午前2時を回っていました。

ただいま。

しかし、まだ眠るわけにはいきません。夜回りから先生が帰ってくるのを、全国の眠れない子供たちが待っているからです。

先生のパソコンに届く、子供たちの相談メール。多いときには、一日500通を超える日もあるそうです。

「水谷先生、私はもう限界です。」「たすけて、たすけて、たすけて、死にたい、死にたい、死にたい。」リストカットをした画像が送られてくることも。なぜ子供たちは、簡単に死を選ぶのでしょうか。

画面いっぱいに埋め尽くされた
「消えたい、死にたい」の文字

親にも友達にも誰にも言えない心の悲鳴。そんな、届いたすべてのメールに、先生は直接返事を出します。

「水谷先生…
もう、生きていたくないです。
死にたいです。」

「死にたいです」。これはまずい。

「水谷です。どうしたの…」

先生は、一人一人の子供とメールでつながり、話しかけることで、閉じてしまった心を開こうとしているのです。

水谷修「やっぱり、生きにくさを訴えてくる。辛いんだ、生きにくいんだ、っていう子供たちからの相談がほとんど。友達から相手にされない、友達ができない。あるいは、親から、あるいは学校の先生から、すごく、いじめとか虐待にあってる。助けてくれ。その行為としては、リストカットだったり、自殺願望だったり、色々あるけれども。それが多いね。一番多い。もうほとんど8割。残りが非行、薬物じゃないかな。」

先生と、直接話をしたい子供もたくさんいます。

もしもし、水谷です。

(女の子)あ、こんばんは。

うん、誰だい?

この前相談したものです。

どした?

やっぱり、死にたい。


もしもし。

(女の子)なんか、すごい絶望的になっちゃって…。

うん…。

一回、飛び降り自殺の未遂をしたことがあって。


(女の子)友達が…

うん。

シンナーみたいなのやってるんですけど。


(女の子)あのぅ…なんかもう…死にたくて…。(嗚咽)

なんか、痙攣起きてるのか?
飲んだのかお前、今パトカー送る。

大丈夫、大丈夫!

だっておかしいじゃんよ。110番するぞ。

大丈夫だからやめて!

だっておかしいじゃん、痙攣してない?

やめてっ!


分刻みでかかってくる、眠れない子供たちからの電話。夜通し鳴りやむことがありません。


もしもし。もしもし。水谷です。

(女の子)はい。

どうしたの。

色々あって、自殺未遂とかしちゃったから。

学校で?家で?

学校です。

学校で自殺未遂か。リストカット?飛び降り?

リストカット。

正直に教えて。本当に死ぬ気だった?微妙?

わからない。

今日用意したのは何だ。剃刀か、カッターか。

いや、今日は首吊りです。

ロープ?

はい。

なんだ、首に巻いたか?

はい。

まだ絞めちゃいなかった?

うぅん…。

首が伸びるぞ、だいぶ。
身長は高くなるけどな。

ふ…。

死ぬな…。先生ついてる。死ぬな…。明日作ろう。


四六時中止まらない、メールと電話。先生はどんな相談でも、親身になって話を聞くことで死に急ぐ子供たちを食い止めているのです。

水谷修「メールと電話が一番多いのが午前2時前後。なぜかわかります?ほら、2時49分、52分…。2時台が一番多い。人が一番悩む時間みたいね。苦しいんだろうな、夜起きて、この時間。」

それは何か、抱えるものがあって、寝れないってことなんですか?

水谷修「うん。結局、昼の世界でイライラがあって、いろんな辛いことがあるから、それを考え込んでしまって、寝れなくて、パニックになるのが、この時間だね。薬物使うケースも、全く同じ。一番薬物を再使用したくなるのが、この時間帯。でも、この時間帯にどこの相談所があいてます?」

眠れない子供たちにとっては、水谷先生だけが、相談できる相手。一つ一つのやり取りが、死にたいという気持ちを思いとどまらせ、また、新しい朝を迎えさせるのです。

ナツミ 1

心の安定を求めるために飲み始めた処方薬。しかし、使い方を誤ると、心と体のバランスを壊していくこともあります。薬の恐怖と闘う、ある一人の少女と、水谷先生の記録。

もうそれすらもわからないじゃないか。
2週間分、全部飲んだの?
救急車呼ぶぞ!

水谷先生の自宅に、一人の女の子が訪ねてきました。

ナツミさん(仮名 19歳)

ただいま。ただいま。

一見普通に見える彼女もまた、眠れない子供の一人。名前はナツミさん。19歳。先生は、家庭や学校で居場所がない子供を、自宅で預かり、自分の家族と一緒に住まわせます。彼女は去年の2月、家族とのトラブルが原因で先生の家に3週間住んでいました。

現在ナツミさんは、アパートで独り暮らしをしています。閉じてしまった自分の心を開くため、闘っているのです。彼女は、ODから抜け出せずにいます。ODとは、オーバードーズの略称で、何件もの病院を回っては、精神安定剤や睡眠薬を集め、不安に駆られると一気に何十錠も飲んでしまう症状のこと。部屋の引き出しには、10種類を超す薬が入っていました。

覚えてないくらいボーッとしてるから、ちょっとフラフラ。

そして彼女はまた、リストカットもやめられません。左手にはまだ、生々しい跡が。いつもリストカットに使っているというメス。なぜ彼女は、自傷行為に走るのでしょう。

夜になると、本当すっごい不安定になって…。どうしてもなんか、切りたくなっちゃう、みたいな、感じ。

携帯電話に残された、リストカットの写真。一人暮らしを始めてから現在まで、几帳面に保存されています。彼女にとっては日記と同じ。そのときの気持ちを、刻み込んでいるのかもしれません。

自分の…なんだろ、可哀想さって言ったら変だけど。
そういうのを、見せつけたいっていうか…のもあるのかな、って感じ始めた。
だから、私を見て、みたいな。

お前自身は、ちゃんと言われた通りの投薬で通してきてる?
この2か月。

いや。

だいぶOD?

だいぶっていうか…

毎日?

毎日ではないけど。

どの程度増やしたの?
2倍くらい?3倍くらい?

3倍ぐらい。

二人はこれまで、父と娘のように話し合いながら、彼女の心の病と闘ってきました。

実はね、明後日からね、入院するの。

親のほうは、入院は了解?

了解した。

1か月?

ううん。とりあえずは1週間て言ってた。
1週間か2週間って。
休養目的だから。

先生は、出会った時から入院を勧めてきました。しかし未成年の彼女は、両親の承諾がないと、入院することはできません。

親の大きな期待を受けて育ってきたナツミさんは、お受験で失敗。それ以降、優秀な姉と比較されながらも、自分を抑えてきました。そんな彼女を待っていたのは、いじめ。それを機に、現実逃避をするようになったナツミさんに、両親は世間体を気にして、今まで入院することを許さなかったのです。

ずっと、親の前でいい子を演じてた。
それにすごい疲れてしまったっていうのが…ありますね。

家族に対して出せない感情を、水谷先生の前では素直に出せるのです。

やっぱり、リストカットとかODとか乱用とかは、だいたいの人が、やめなさいそんなことって言って止めるんですけど、逆にそれが、私にとってつらかった。
やめたくても、やめられないんだよ、っていう感じで。
それを先生は、やめなさいって言わなくて。
いいんだよ、っていう言葉で受け止めてくれて。
本当に、嬉しかったですね。

ナツミさんとの会話中、電話がかかってきました。水谷先生と話をしたい子供は、彼女だけではありません。

うん覚えてるよ。
どうした?

先生がほかの子供と話し始めると、ナツミさんの様子が変わりました。まるで小さな子供が必死に何かに耐えるように、手を噛むナツミさん。甘えたい気持ちの表れなのでしょうか。

こら!
髪に触るな、はげるだろ。
命の二番目に大事な…。

ごめんなさい~。

理想を押し付ける親から離れ、水谷先生と病気と向き合い始めて半年余り。親には見せられなかった素直な心が、すべてを許してくれる先生の前では、自然とあふれ出てきます。

以前暮らしていた部屋のベッド。実家や自分のアパートより、ずっと落ち着ける場所なんでしょう。

正直寂しさもあるのかもしれない。
ここにいるとやっぱり先生もいるし、先生がいるってことで安心感があって。
先生がいるってことで、落ち着ける、っていうか…。

ナツミさんは、二日後入院しました。しかし薬に侵された心は、簡単には治りません。薬物の本当の恐ろしさは、これから。ここから。

講演

薬物の専門家というもう一つの顔を持つ水谷先生は、授業のない午前中と休日、講演を行うため、全国へと出かけます。その数は1年で300回以上。公務員のため、謝礼はもちろん、交通費さえ出ない場合もあるといいます。

先生は夜間高校の教員です。
授業は夜、夜の9時までやります。
それが終わって片づけをすれば、早くて学校を出るのは9時半、遅ければ10時半、11時。
それから週の後半は夜の街に出ます。
エッチなビラを片付け、君たちのように制服を着て、夜の街にいる子供たちに、危ないぞ、早く帰んな、もう一回まわってお前ここにいたら捕るよ。捕るっていうのは補導するって意味だ。
そうやって夜の街、歩いてきた人間です。

みなさん、大人の方々は、僕の住む世界、夜の世界に住む子供たちを、怖いとか、あいつら何やってるのかって、腫れ物、ごみを見るように見る。
でもね、いいですか、好きで、夜の世界に沈む子はいない。
どんな子だって、昼の太陽の下で、こういう大学で、街で、家で、小学校で、中学校で、お前っていい子だな、お前産んでよかった、お前は最高の生徒だ、褒められて育ちたい。
ところが、今の時代はそういう時代じゃない。
今の時代は、イライライライラした攻撃的な時代だ。
いいんだよなんて言う言葉は忘れ去られて、常にダメだよ、ダメだよという言葉が飛び交ってる。
会社では上司が部下に、なにやってんだ、ダメだろ。叱られた部下は家に帰って、自分の奥さんに、お前何やってんだ、のろのろやってダメだろ。
そのお母さんは、自分の子供に、何こんな点数とってきて、何やってんの、ダメだろ。

じゃあ子供は!同級生殺しますか。3歳の子突き落としますか。仲間いじめますか。
ここで、子供たちは二手に分かれてますよ。
それでも元気な子は、多少の活力のある子は、もういいよ、親には捨てられた、相手にされねえ、学校行ったって、先公俺のことなんか、よく見てもくんねえ、やってられっかよお。
そして僕の住む夜の世界に来るんです。
夜の世界の大人は、優しいですよ。
お前たち、来てみ夜の世界に。優しいぞー。
姉ちゃん綺麗だなぁ。どっか連れてってやろうか。なんかうまいもんご馳走してやろうか。
なぜだと思う?お前たちは商売になる。体売らして、薬漬けにして、2倍儲かるんです、女の子は。
男の子がちょっといきがって入ってくりゃ、兄ちゃんかっこいいなぁ、事務所遊びに来るか、はい、小遣い3万。
そのうちパシリ、電話番、で、落ちるとこまで落ちりゃ売人。
使い物になるから、変えられる。そしてどんどん夜の闇に、沈まされてく。

でもね、こんな子は1割ですよ。非行や犯罪を繰り広げる子は。
それよりはるかに多い、その10倍近い子供たちは、特に優しい子たちは、自分を責めるんです。
お母さんに叱られたのは、私が悪いから。父さんに叱られたのは、私が悪いから。先生に叱られたのも、私が悪いから。
もう心がいっぱいいっぱい、パンパンになる。
そんななか学校は行けなくなる、家から出れなくなる。
そんななか夜の世界で、苦しくて苦しくてパンパンになった心の、そのパンパンなガスを抜くために、リストカットをしてく。
リストカットは死ぬためじゃない。生きるためですよ。切って生きてくんです。
そんななか、精神科、心療内科の薬をいただいて、向精神薬、飲むドラッグになる。もっと飲んだら楽になるか、もっと飲んだら楽になるか、何十錠という薬を、日々飲み込む。
オーバードズといいます。そんななか、幾人かの子は、死んでいく。

夜を照らすネオンの明かり。北へ、南へ。日本中の夜の街を、夜回り先生はひとり歩きます。

高校生?中学生?早く帰れ。

何この人?


高校生?帰れる?親は?
11時で補導しなきゃならない。あと25分。


シンナーは?

やってない。

中学のときは?

やってない。

Sは?

Sって?

スピード。

やってない。

やってない?バツは?

何もやってない!

体調

先生を求める声は、時間も場所も選びません。娘が覚せい剤にはまったという母親から、電話がかかってきました。

お嬢さんは高校生?17歳、いま16歳ですね。
…泣かないで。泣いてもしょうがないですよ。
で、あの…痩せてということは、多分もう覚せい剤を使って8カ月とか9カ月だと思うんですけども。
ともかく本人は、今でも夜遊びに出ますか。
出ますか。

もちろん、自宅に帰っても、相談は止みません。満足に睡眠もとれない日々。そんな日常が続いたある夜、先生の体に異変が起こりました。

きつい、ごめんねちょっと飲む。
胸腺がね、大動脈圧迫するんですよ。
ときどき、止まったのがうっと流れたとき、ぷくぷく、ぷくぷくって。
むしろ、俺のは、癌で死ぬよりそっちが危ない。大動脈瘤でしょうね。

ここんところ、胸腺がね…大動脈圧迫してて。
だからぷくぷくってくるのがわかる。
それが上に上がってる分にはいいって言われた。
下戻ると、急性心不全。
だからこれが大きくなりすぎるとね…。

極度の過労と睡眠不足。そしてストレス。水谷先生は、血液のがんと診断され、余命の宣告まで受けていたのです。すでにそのときは過ぎ、今の先生は、いつ倒れてもおかしくない状態です。

もしもし、水谷です。
おー、どうした?
また誘われた?

んっ?

クスリ。

はははっ。

何のクスリ使ってる?

うん覚せい剤。

覚せい剤やったこと、悪いと思ってない?

うん。

なんで?

わかんない。
そういう気持ちがない。
そういうふうに考えたことがない。

やめれないよ、もう何回ぐらい?覚せい剤。

わかんない。何回か。

一生アウトになるぜ、その前シンナーもやってるんだもん。

シンナーやめるよ。

そんな簡単じゃない、じゃあ覚せい剤やるの?

うん。

もっと怖いよ。


もしもし、水谷です。
今すぐ保護してあげようか、もう、家帰りたくない?

家帰りたくない。
家帰ると、いやらしいことするんだもん。

お父さん間違いなく、エッチなことするんだね君に。

うん。

許さない先生。
いいね、お父さん捕まえさせちゃって。

うん。

兄弟は?

体が悲鳴を上げていても、先生を求める子供たち。応えずにはいられないのです。なぜ先生は、そこまでするのでしょう。そこには13年前に出会った、ある生徒との辛い過去があったのです。

マサフミ

「水谷先生、あんたが殺したんだよ!」

子供たちには薬物の怖さを、大人たちには、今の子供たちの現状を訴え続ける水谷先生。そんな先生が、講演で必ずする話があります。その話こそ、夜回りの原点。そう、運命を変えた、ある一人の少年との出会い。

ちょうど、今から13年前になります。僕が港高校に赴任した年です。
その年、一人のマサフミという少年が、私の学校に入学してきました。
入学式の日に、シンナーを吸ってきたんです。僕が校門に立ってますと、目の前をふっと通った。
もうシンナーのにおいがぷーんと匂うんです、あのマジックインキの匂いが。
すぐ呼び止めました。おいちょっと待ってくれ、君はうちの新入生か?って言ったら、そうだって言うんです。
入学おめでとう、ところで君、シンナーやってるな?アンパンやってるな?って言いました。

もうその日のうちに、その場で保護をして、入学式には出せませんから、生徒指導室に連れて行きました。
生徒指導室でだいぶもめましたけども、落ち着かして、夜の10時に、マサフミの家まで送っていきました。
貧しい家庭でした。母一人、子一人です。

先生と暮らしたら、シンナーをやめられる。マサフミ君のその言葉をきっかけに、先生とマサフミ君の共同生活、シンナーとの長い戦いが始まりました。

――で、もう大丈夫だよ、やめられたよって。家に帰るんだ。でも3日か4日後には、泣きながら電話だよ。夜中の2時3時、今日みたいにね。
先生、吸っちゃった。昨日までは、先生のこと思い出せばやめれたのに、今日体勝手に動いて、って。
いいよ、今持ってるシンナー捨ててこい、トイレで。明日からまた来い。
で、またここで暮らして。
また1週間から10日、もう大丈夫だで帰して。…でも、また3日か4日後には電話。
その繰り返しだったね。あのころ全然、薬物やめれないのが依存症っていう病気なんて知らなかった。素人だったからね。

一歩進んでは二歩下がり、そしてまた一歩。そんな日々が、3か月続きました。

6月24日、僕が夜9時に、授業終わらして自分の部屋、4階にあった生徒指導室に下りて行きました。
そしたらその前で、マサフミが待ってました。あ、水谷先生来た来た。お、どうしたマサフミ、って言ったら、新聞を破いたやつを持ってました。
あいつはこう言いました。水谷先生、俺さ、先生じゃシンナーやめれないや、先輩から聞いたけど、この新聞に、日本に3つしかない、群馬県と神奈川県と九州の佐賀県にしかない、10代の子供が、シンナー覚せい剤やめれないのを直してくれる病院、その病院の一つ、神奈川県立のせり病院がうちの近くだって書いてある。ここに連れてってくれよ。
あいつが僕に言ったんです。僕はそのとき、大変な失敗をしてあいつを殺してしまいました。

むかっと来たんです。頭に来たんです。自分の家まで連れてきて、自分の子供とおんなじように可愛がって、それなのになんで水谷じゃダメだってこいつは言うんだ、許せませんでした。
その日(私は)冷たかった。
わかったわかった、連れてきゃいいんだろう、今週はな、先生忙しい、来週の月曜な。
あいつが、先生、今日先生んち行っていいか、行っていいかってまとわりついてました。来たかったんでしょう。
それを騙して、嘘を言って追い返しました。エレベーターのほうに振り返り振り返り歩いてって、15メーターくらい離れたとき、あいつが、大声でひとこと叫んで走って、帰っていきました。
水谷先生冷てえぞーって叫んで。
これが、あいつの最後の言葉でした。
水谷が一生背負って、償っても償っても償いきれない、言葉です。
そのわずか4時間後、自宅近くの公園で、シンナーを吸ってふらふらになって、シンナーから来る幻覚で、ダンプカーの明かりが何か綺麗なものに見えたんでしょう。ダンプカーの明かりを掴むように飛び込んで、死にました。事故死です。

お母さんと火葬場に行きました。1時間弱で、マサフミ焼きあがって、ステンレスの台車でガラガラ運ばれてきました。
それ見た瞬間にお母さんが、マサフミーっつって飛びついて行きました。
80度90度ある灰を、両手真っ赤にやけどしながら握りしめて、泣くんです。なんつって泣いたと思います?
シンナーが憎い、シンナーが憎い、うちの子を2回殺した、一度目は命を奪い、二度目は骨までも奪った。
マサフミはシンナー4年間ずっと吸いっぱなしでした。歯と骨がボロボロ、スカスカ。しかも体の中に、シンナーが入ったまま焼かれたからです。
僕はもっと、むごいことをお母さんにしてしまいました。泣いているお母さんを抱きかかえて向かい側に立たして、箸を持たして、僕もボロボロ泣いてました。震える手で箸を持って、お母さん、供養です、一本の骨でいいから、橋渡ししましょう。
大腿骨、太ももの骨です。本当ならこんな長くてしっかりした、人間の骨の中で一番丈夫な骨です。これが10センチ5センチで3つだけ出てました。その10センチのやつを、お母さんと向き合って、そーっとそーっと、そーっと持ち上げたんです。
でも10センチ持ち上がらないで崩れました。その瞬間に、お母さんワーって叫びました。
僕はなんてことしたんだ、もう何が何だかわからなくなりました。
何分たったのか、誰かが背中をぽんぽんと叩いてくれて、ふと我に返りました。
僕とお母さんと何をしてたと思います?この手でですよ、4つの手で、こうやって灰かき集めて、ぎゅーっと握りしめて、悔しくて悔しくてバンバン叩きながら、骨壺に、手で灰を入れてました。

2004年、6月25日、深夜。この日先生が向かったのは、マサフミ君の事故現場でした。1年に一度、必ず訪れる場所。13回目の命日です。

いつ来ても、いやだね。

まさにここだよ。
もうあと何分かで、13年だ。13回目の命日だよ。
お母さんもいまごろ、家にいるでしょう。明日行く。
道だけは変わってないよ。あの建物もね。

Q.先生にとってこの13年とは?

「そうだね、何にも考えないように、考えなくて済むように、ただひたすら動いてきただけだよ。人のために動いてれば、人のためと称して動いてりゃ考えなくて済むじゃん。困ってる子なんて山のようにいる。その子のために何かできるか考えて動いてりゃあさ、何にも考えなくて済むじゃん。

考えてみなよ、何人殺した。22人?マサフミ第一号で、結局考えたってさ、どうしようもないのわかってたって、休みゃあだって、ああすればよかったこうすればよかったって、後悔しかないもん。考えるのやめるには、人のために動いてるのが一番いい。もう一人のマサフミ出さないように。でも22人だよ。親3人だけどね。でも薬物以外じゃ殺してないよ。薬物だけは勝てない。薬物以外じゃ殺してない。」

そんな6月が終わろうとしたころ、先生は大きな決断をしました。22年目の決断です。

Q.何かあったんですか?

「ちょっとね、もう限界だ。」

Q.限界というのは?

「学校のことなんだけども。もう学校に電話は鳴りっぱなし、講演、依頼、相談、ほかの先生にえらい迷惑かけるし。体も、もう悲鳴あげて」

水谷先生は、辞職願を出しました。学校への迷惑、体をむしばんでいく癌。子供に寄り添えば寄り添うほど、先生は多くのものを失っていったのです。

そんななか、入院しているはずのナツミさんから連絡が。そこで見た彼女は、以前のナツミさんとは全く別人でした。

記憶が全然な~い。

うぜえんだよ!うぜえんだよぉ!
違えよ。水谷だよ!

エリカ 1

北九州

夏休みが始まりました。講演のため、北九州の小倉を訪れた水谷先生は、そこである女子高生と会う約束をしていました。彼女もまた、薬物から抜けられず、苦しみ眠れない子供。

頭から噴水だな。よく来た。

初めまして。

久しぶりだろ。
しかし歯がいってるなー。

手は?
リストカットとか大丈夫だね?

いや、何もしてないです。

シンナーだけか?

はい。

高校でバレてない?シンナーのことは。

バレてないけど、この前私がシンナーでおかしくなってたときに、臭いがするって言われて、吸ってないって言ったんですけど。

捕まれば退学か?
公立高校?

はい。

今日は、一番いい場所で講演聞かせてあげる。

ありがとうございます。

よし、ちょっと行こう。

エリカさん(仮名 17歳)

彼女の名前はエリカさん。福岡県に住む、高校3年生です。本を読んで先生の存在を知った彼女は、昨年の2月、初めて先生にメールを送りました。

『水谷先生、初めまして。ウチは高校2年生の17歳です。福岡に住んでいます。高校1年の10月から、シンナーに手を出してしまいました。心の中で、「まだ17なんだ、まだしていいだろう、次で、次で」となっています。親にも先生にも、友達にも言えません。』

『水谷です。シンナーは、一人でやめるのは無理だよ。』

『親に言いたくないし、知られたくない。それなら、死んだほうがいいかも。死にたくないけど。』

『水谷です。大丈夫だよ。』

彼女がシンナーを始めたきっかけ、それは、ほんの遊び心からでした。

最初は嫌で、絶対しないと思ったけど。
友達に勧められて。一回してみてって言われて。してみた。

しつこく誘われたの?

1回してみたいなって気持ちもあったし、やっぱりダメだなって思ったけど。
勧められて。

いつもどこでやってたの?

移動しながら、車の中で。

運転手も一緒にシンナーをやってたの??

はい。

危ないよね!?

はい。でもかなり慣れてたから。

面白いことや楽しいことがないから?

いや、あるけど。
なんか、忘れたいときに。
すごく、嫌なことがあって…振られたとか、別れたとか。
何かイライラしてるとき、もうシンナーは手放せない状態。

先生に会うことが決まってからこの日までの3週間、エリカさんは必死に、シンナーを我慢してきました。なぜ先生は、彼女を講演に呼んだのでしょうか。それは先生の体験から、薬物を使い続け、悲惨な結末を迎えてしまった子供たちの話を聞かせることで、彼女に薬物の怖さを伝えたかったのです。初めて先生の講演を聞くエリカさんに先生が用意していたのは、彼女だけの特等席でした。

いいですか、今専門家たちの間では、こういわれています。
皆さんのうち半分、50パーセント、二人に一人は、これからの人生で、身近で、シンナーや覚せい剤、エクスタシー、バツ、そういう、大麻、マリファナ、ドラッグについて見聞きする。
君たちのうち25パーセント、4人に1人は、薬物を誘われる。
そして君たちのうち2.6パーセント、39人に一人は、使うといわれてる。

いずれにしてもお前たちが、薬物に誘われるとき、お前たちを愛してるお母さんお父さんがた、お前たちを愛してる先生がた、いらっしゃらない。
そのときお前たちが、ノーと言える勇気を持てるかどうか。そこにすべてが懸かってる。
薬物、ドラッグは、使うだけなら5歳から上、誰でもできる。やめることは、誰にもできない…。

疲れた~。
どうだった?

……。

よし、行こう。

講演終了後、水谷先生は、最も信頼を置く薬物専門の医師をエリカさんに紹介しました。薬は一人では、やめられないのです。

比江島誠人医師

病院行こう。
そのためには、お父さんお母さんに、まだ17なんでね、許可とらないと。
話せる?親に。病院入って、やめたいんだ、って。

うーん、できない。

黙って入院はできないもん。

でも、バイトがあるから…。

でもお前、どっちがいいの。
先生の今日の講演、聞いたろ。
死にたくはないんだな?やめたいんだな?

やめたい。

だったら中途半端じゃなくて、ちゃんと診てもらおう。


シンナーやめられそう?

がんばって、やめようと思います。

その方法を先生と一緒に探す?

はい。

先生に直接会ったことで、彼女は本気で、シンナーをやめようと思ったようです。

ナツミ 2

ナツミさん(仮名 19歳)

そんな折、入院しているはずのナツミさんから自分の意志で退院した、と電話がありました。そこには階段で独りうずくまっている、金色に髪を染めたナツミさんがいました。

記憶が全然な~い。

いつから記憶がないの?

お昼過ぎ…。

薬の影響からか、動くこともできないようです。

何歳なの?

19。

やたら年上。ウチら15歳。

偶然居合わせた少女たちに、流行のメイクをしてもらうナツミさん。それも手伝ってか、すっかりご機嫌です。

ギャルでーす。初ギャルです。

夜の街ではしゃぐナツミさんに、水谷先生から電話がかかってきました。

ん~っ?
(クスリは)飲んでないよ~。
えっ、ちょっと待ってて。

先生が怒ってる…。

退院してすぐに、遅くまで出歩いていることを注意されるナツミさん。再入院を勧める先生の言葉も、今は届きません。

長期入院は、しないです。

……なんで一方的に切るんだよ、あの野郎ぁ!
なんで切るんだよ…あの野郎…。
切んじゃねえよ、この野郎。

自動販売機を蹴り
始める

ふざけんなよぉ~!

ふざけんじゃねぇよ、この野郎。

(スタッフ)帰ろうか。

うぜぇんだよ。
うぜぇんだよ!

(スタッフ)誰、俺?

違えよ。
水谷だよ!
なんなんだよ、なんで病院と連絡取り合ってんだよ。
病院も病院じゃねえ?そういうこと言うなんて。違反じゃない?
弁護士使って訴える?訴えてもいいよ。ホントに。
本気で頭にきてるからね、今。

ったく、ノヤロー。
帰りゃいいんだろ?

(スタッフ)帰ろうよ。

帰りゃいいんだろおっ!?

こんなに先生、先生、先生、助けて、助けてって言ってたけど。今はそれがすごい腹が立つ。
確かに力になってる部分もある。助けてもらってる部分もある。
だけど、そうやって医者とこっそり連絡を取ってる先生は許せない。

先生に初めて裏切られた、そう感じた夜。しかし先生の思惑は、ナツミさんの思いとは、別のところにあったのです。

先生の対応としては、彼女は突き放す時期なんですか?

うん、ただ、突き放すと言っても医療関係者と連絡は取り合って、事情は説明してるから。
むしろ、たとえば、ここにこないだみたいにまた預かってもいいけど、結局そのときには一過性でODやめて、でも永遠にそれでは救えない。
自分からやっぱり次、求めていかないと。
あと、時間がかかる。
心の成長が止まっているのを、何とか安定させながら待たないと。

どれくらい、時間がかかるんですか?

あの子、精神年齢は12だと思ってるから、6年。
18に心が育つくらいまで、かかるんじゃないかな。自立までは。

数日後、心が落ち着くのを待って、ナツミさんのアパートを訪ねました。

入院したことで、楽にはなった?

仲間ができたってことでは、楽になったかな。
病気と闘ってる仲間ができたっていうことに対しては、楽になってる。
素直に親に頭下げて、実家戻らしてくださいって言えれば、いいんだろうけど。
それができないし。できない自分がいるし。
う~ん…。
どうしていいか、わかんない。

親に対しては、どういう思いがあるの?

正直に答えると、ちょっと、甘えたいかな…。

親に甘えたい。でも顔を合わせればケンカ。一人暮らしをすれば寂しさに負け、クスリへ逃げてしまう。そんな狭間で、ナツミさんは自分を見失っていました。

子供のころに戻った気がする。

思い出すのは、幼いころ、公園でおばあちゃんと遊んだこと。懐かしくて温かい時間。

おばあちゃーん!
元気ですかー?
今度会いに行くからねー。
待っててねー。
待っててね…。

家族の中で唯一、ナツミさんを理解してくれたおばあちゃん。今は亡き、おばあちゃんへの思い。涙があふれます。

ダメだね、おばあちゃんの話題になると、ダメですね。
会いたか…。
けど、もう会えない。

現実から逃げ出して、戻れるならあの頃の自分に会いたい。太陽の下の、あの公園で。

忙しい季節

機内であくびをする

夏休みは水谷先生にとって、一番忙しい季節。全国を飛び回り、自宅に戻れる日はほとんどありません。

シンナーは?

俺は、中学のときくらいから、ないっすね。

やってた?

はい。

歯がちょっと溶けてんな。
もうやめれた?よくやめれたな。


さっき3万とか言われた。

3万って言われたの?
それどこで。いる?そばに。

もうどっか行っちゃった。

それだけで犯罪だからね。

私援助交際やったことないのに、やったことあるかみたいに言われて。

そんなの訴えだよ。
すぐ、そういうの警察行くこと。
絶対行くなよ!


ごめんねー。18歳未満の子いたら帰ってくれ!
まずいぞ~。18歳未満の子は帰ってくれな。
11時で補導入るぞ。頼むぞ~。
いいな!それ終わったら終わりな!
頼んだぞ~。


はい、ほら、逃げるな!

子供たちにとって水谷先生は、楽しい時間を邪魔する、迷惑な大人に見えることもあるでしょう。先生が望んでいるのは、夜の街から子供をなくしたい。ただそれだけです。そのためには、先生は嫌われ役も買って出ます。他の大人たちが、見て見ぬふりをしているから。

嫌ぁ~っ!


すごい数だ…、今日。

この日届いたメールの数は、1,000通を超えていました。

『また死にたい病が心と体を誘ってくるよ』

『ここ数日の自分は酷くていつも以上に嫌いです』

『イライラすると自分の体を傷つけてしまうんですけど』

よーし、落ち着いてきた。
はぁ…さすがに疲れたね。

子供たちの悲鳴に気付かない大人たち。もう、たった一人では受け止めきれません。そんななか、先生の体に異変が。

(スタッフ)具合悪いんですか?

痛い。
胸腺が圧迫して、ぶくぶくっていうあの発作だ。
大丈夫、ちょっとで落ち着く。

(通りかかった女の子)あ~!水谷先生!

行きます!

今日の講演を聞いたという女の子に声を掛けられ、行きます、と立ち上がる水谷先生。病気のことはこれっぽっちも見せないように。

さっき見てた。

よかったか、講演。

うん。

やるなよ~。

やんないよ~。

よぉし。

自分が壊れても、先生は立ち止まるわけにはいかないのですか?それはなぜ。ほかに、先生の代わりがいないからですか?教員を辞職すると決め、癌の激痛に耐え、闘った夏。夜回り先生の13回目の夏が、終わろうとしていました。

エリカ 2

福岡で会った高校生、エリカさんから電話が来ました。

しまった。取り損ねた。
なんかあったな…。

もしもし水谷です。どうした?

先生、わかる?

わかるよ。福岡、シンナー、17歳。

ははははっ。

3拍子そろってる。どうした?

やっぱり吸ってしまった。

シンナー吸った?

うん…。

親はそばにいる?

親は知らないよ。

今、外にいるの?

うん。

親に言わなきゃダメだぞ。

なんで?

治してやるけど病院だ。

ん?

病院の力借りなきゃ、やめれんぞ。

うーん。

あと2週間、先生福岡行くまであるから。
この2週間のあいだ、考えい。
シンナーを使って子供産めなくなって、歯も溶けて、脳みそ縮まって死んでいくのか。
やめて普通の生き方、もう一回求めてみるのか。

もう一回だけやりたい。

それじゃあ先生にさ、いくら相談したって、どうしようもないぜ。
やめる気ないってことじゃん。

やめる気あるけど…。

やってんじゃん。
さっき、先生やめれたよ~、今日は誘われたけど(って言っただろう)。

うん。

で、また今、使いましたでしょ。

はい。

それが薬物の怖さだよ。

エリカさん(仮名 17歳)

2週間後、講演のため福岡へ行く先生は、再び彼女と会う約束をしていました。あの電話のあと、エリカさんはシンナーを続けていたそうです。先生の優しさに触れ、あれほど止めようと決意したはずなのに。久しぶりの再会です。

どうでした、先生の講演は?

よかった。

どうだ、シンナーやめたくなった?ますます。
やりたくなっちゃった?

もう一回だけしたい。

もう一回だけ?
…頼むから、勘弁して。
もう一回が、2回になり3回になり、今まで何回もやってきたわけだろ。

このままではいけない。先生は、エリカさんのお母さんと会うことにしました。

いいの。話しなさい。
8月にやった?やったな。
7月は?…やったな。
…実は、シンナーをやめれないっていうのは、彼女が、意志が弱いからとか、あるいは環境とか、誰かから無理やり吸わされてるっていうんじゃなくて、もう、お前の身体の中で、シンナー覚えてるんだ、頭とか身体が。
依存症っていう病気になってるから、どうしても、何か嫌なことがあったりすると、無性に吸いたくなる。

エリカさんに話しかけながら、お母さんに、薬物のこと、そして何も知らない娘のことを伝えます。

幸せになるんだろ。なりたい?
幸せな結婚して、子供は何人?

…2人。

驚きを隠せない母親。しかし、先生の話を聞いて、協力を約束してくれました。

お母様、怒りたい気持ちがあっても、ぶっ飛ばしても治りませんから。
僕のほうもケアしていきますから。

先生は言います。一番近くにいる親こそが、薬物の恐ろしさを理解して、子供を受け止めてあげる。それが薬物に勝てる、一番の近道だと。


私はちょうど今年で、学校の教員になって22年になります。
残念ながら9月22日、事情があって、職場を去る、教員を去ることになりました。無念です。
でもこの22年間を振り返って、一つだけ胸が張れることがあります。
それは、この22年の教員人生、ただの一度も生徒を叱ったことないです。怒ったことも怒鳴ったこともない。
怒鳴ったり怒ったり、恐怖でいうことをきかす教育は、教育じゃないと思ってます。
どんな子供ともじっくり付き合って、じっくり腹割っていけば、子供は学んで、自然に動いてくれる。

幼年時代

水谷修さんは、昭和31年、横浜で生まれました。3歳のとき、両親が離婚。お父さんの顔は覚えていないそうです。その後、母方の実家である山形に預けられ、祖父母のものとで暮らしました。そこでの生活は貧しく、時にはいじめにも遭ったそうです。一人ぼっちで孤独な少年時代。そんな日々が、11歳まで続きました。

9月。先生は公演の合間を縫って、幼少を過ごした山形の小学校を訪ねました。久しぶりに立つ校庭。土の匂い。風。変わっていたのは、新しくなった校舎だけです。

水谷少年が毎日見ていた風景。その時感じた思い。今思うこと。

なんか、大切なもの失ったのに気付いた気がするよ。
あの子たちの声聞いてもさ、もっと心開いて、自分が貧乏なこと見せればいいし、叫べば…きっとみんな何にも、いじめなかったしね。

Q.友達と遊んだ記憶は?

(首を振る水谷修氏)いつも独りで、自分は違うんだって、こうやって腕組みすんのが、僕の癖で。
難しい顔して、空のあの上にはなんとかかんとかとか、言ってたな。
本だけが友達で、本だけ腐るほど読んで。それで人けむに巻いては、俺はお前たちと違うんだぞ、って突っ張ってたね…。

日本中の眠れない子供たちの悲鳴を、たった一人で受け止めてきた、水谷修さん。でも彼もまた、眠れない子供の一人だったのかもしれません。

このホームさ、懐かしいんだ。
おふくろが、夏1週間ぐらい、毎年まいねん一回だけ来るんだよね。迎えに来るのもこのホームなんだ。
迎えに来るときはもう1時間前に、ここにいたな。
で送るときはさ、一番後ろにおふくろ乗るんだよね。
ほんとに、窓開けて、手つないで…。ここをね、電車と一緒に走る。
あとは、どこまでもどこまでもこの線路、追っかけてたね。寂しかったね。

Q.この地で何か学んだことは?

一人で生きる強さかな。世の中斜めに見て、いいんだ、一人でも。
でも、学んだこともそれだけど、失ったものも、そこから来てるね。
仲間とか、誰かとともに生きてとか。
ただ逆に、そういうその、環境にいる子供たちへの同じ仲間としての、優しさ、寂しさの共有、っていうのは、ここの、僕の、子供時代から来てるんじゃないかな。

ナツミ 3

薬を飲むことがやめられず、もがくナツミさんからメールが届きました。“先生、私はやっぱりもうダメだよ、先生、ありがとう”。

『先生…私はやっぱりもうダメだよ。存在することに疲れた。何にもやる気が起こらない。先生に言われた「生きること」って言葉は頭に残ってるけど、もう疲れちゃった。楽になりたい。先生に出会えて本当によかったです。先生ありがとう。』

おばあちゃーん!

行き場のない苦しさから、クスリをやめられず、もがくナツミさん。

心配になった先生は、ナツミさんのアパートへ向かいます。

もしもし、水谷だよ。来たぞ。
もしもし?大丈夫か?
フォン取ったままになってる…。(ノックを続ける)

はーい。

ナツミさん(仮名 19歳)

水谷です、心配さすな、こら。
はい、開けて。

ドアの向こうで先生を待っていたのは、うつろな表情で、目の焦点さえ定まらないナツミさんでした。

目は大丈夫。
お前…内臓きてるな…歯、口開けて。
何錠飲んだ?

は?

何錠飲んだ!今日、朝から。

朝飲んでない。

夕べは?何錠飲んでる?

2シート…2週間分…。

2週間分全部飲んだの?
救急車呼ぶぞ。

嫌…。

お母さんと救急車呼ぶぞ。

やだ…いい…やめれくらさい…(ろれつが回っていない)

だってお前、目入っちゃってる。瞳孔動かない。

ん…?

寂しくてもなんでも、次、自分で作んなきゃしょうがないんだよ。
死にたいのか!
…だろ?これやってたって、明日くるか?

はわわ…?

抜けてるじゃん腰が。
ほら、ちょっと危ない危ない。

彼女は2日前に、2週間分の薬をまとめて飲んでいました。何とか意識はあるものの、危険な状態です。この二日間、何を思っていたのでしょう。抜け出せない暗闇を、孤独にさまよいながら。

体内にたまった薬を薄めるため、応急処置として塩水を飲ませます。

2、3リットル、飲ましてやりたいんだけどな。
おいしい、おいしい。

ん…ん。

うまいだろ、結構、塩水も。

倒れる倒れる、コップが。

倒れる?自分で持てる?

うん。

コップを持つこともままなりません。彼女が落ち着くのを待って、先生は親に連絡をしました。

もしもし、水谷です。
実はお嬢さん、昨日から連絡取れなくなってたんで、心配でちょっと寄ったんですけども。
あの、おととい、1週間分ですか、薬を全部飲んだっていうんで。
昨日よく持ち切ってくれた、一つ間違ってたら、死んでましたね。
で、こちらのほうに、どなたかご家族来れますか?
命に別状はないんで、この旨伝えて、長期で入院させないと危ないかもしれない。

大丈夫だよ。
これで、少し楽だろ。いいな?…おやすみ。

親が来てくれることを確認すると、先生は、そっと部屋を後にしました。

3か月ぐらいかけて徐々にクスリ引いてもらって、クスリ、アルコール引いた状態の冷めた状態で、もう一回あの子と、次の人生、作り直しだ。
あの状態じゃ、どうしようもない。
クスリはね、使うのは簡単。引くのが難しい。
あそこまでなっちゃうとね。
でもまだ、間に合うよ、あの子は。若い。

教員最後の日

水谷先生の教員生活、最後の日がやってきました。先生として、子供たちに残したいこと。9月30日、この日は、水谷先生にとって、教員生活最後の日です。先生は、この日もいつもと変わらず、講演のため、ある高校に呼ばれていました。

皆さんこんにちは、元気がなくて、ごめんね。
このもう…何か月になるかな、2月から、7か月。ほとんど、寝てません。
昨日も、寝たの3時、4時ごろか。起きたのが6時ですから、でも2時間寝れた。いまは、先生の日常っていうのは睡眠時間は、1時間か、そこら。あとは飛行機とか電車の中で寝るだけという生活をしてきました。
で、先生自身、リンパ腫という病気です、癌です。もうその進行も、相当ひどい状況で、もうこうやって立ってても、やっとの状況です。あとどこまで、立って、あとどこまで、何本、講演ができるか。
実は今日が、この7年で、1122本目の講演だ。でも命かけて、どこまでできるか。やってこうと思ってる。
で今日は僕にとって、特別な公演です。実は今日で、水谷は22年の教員生活をやめて、ただのおじさんになります。いま先生は夜回り先生って呼ばれてるらしいけど、明日からは、夜回りおじさんだ。
22年間、教壇に立って、何万という子供たちと、夜の街でも、万を超える子供たちと、先生として、触れ合ってきました。
この22年、楽しかった。たくさんの子供たちと出会い、たくさんの子供たちから笑顔をもらい、悲しみもいっぱいあった。でも子供たちと生き抜いてきた、日でした。
先生は教員としての人生、今日で終わって、明日からは、もう残りの生活を、学校っていう教壇の場で、君たちのような高校生に、1年、あるいは3年って語ることはもうできないけれども、夜の街と、あとこういった講演で、全国の子供たちに、できる限り、話をしてこうと思ってます。

みんな覚えとけ。薬物に明日はない。
薬物、入った女の子男の子、助けれる人間は、日本にたぶん、10数名しかいない。それが日本の現状です。
先生はその中のたぶん、中心的な一人でしょう。その先生が死んだら、何人助けれなくなる。
せめてお前たちは、薬物使わないでくれ。いいですか。
残念ながら君たちのうちの、さっきも言ったけど、4割は誘われるでしょう。そのときに、ノーと言ってくれ。
君たちの、ここ(胸)には、宇宙に一つしかない花があります。それは勉強ができるとか、野球ができる、そんなもんじゃない。お年寄りへの優しさとか、物を作る喜び知ってるとか、いろんな、美しいものです。
一生かけて、自分の心の中にある、花の種を咲かせてごらん。
でも残念ながらそれは、昼の社会でしか咲かないんだってこと、覚えておいてください。
先生の住む夜の世界に来ないで、幸せな人生を過ごしてください。今日はどうもありがとう。これで終わります。

さようなら。
さようなら。

さようなら。水谷先生は、誰に向かってその言葉を言っていたのでしょう。講演後、教員として、最後の授業です。教員、水谷修さんの22年間が、この日、終わりました。

かつての教え子たちが、校門の前で待っていました。

お疲れ様です。

Q.もう教壇に立つことはないんですか?

もう夜間高校の教壇に立つことはないし、ほかも…どうかな。もういい。
泣いたよ。はっはっ…。
やっぱり、夜間の子は自分の子だ。一緒に13年、生きてきたでしょ。さみしいね。

Q.子供たちはどうでした?

わからん。涙で見れなかった。
あ~あ。
悲しい。さみしい。きつい。
やっぱり、学校あっての水谷だな。

この夜、花を抱いて歩く、いつもと違う夜回り先生がいました。まるで思い出を抱くように。しかし先生には、思い出に浸っている時間はありません。


薬物、ドラッグがなぜ怖いか。それはね、二つの顔を持ってるから怖いんです。
薬物、ドラッグの一つ目の顔。微笑みかける天使の顔です。
薬物はどのようなものでも、いいですか、使いさえすれば、注射で静脈に打つにしても、火であぶって煙吸うにしても、ジュースに割って飲むにしても、そのまま舐めるにしても、使いさえすれば、嫌なこと忘れさしてくれて、最高の快感が手に入る。こんないいものないさ。
この世の中は、努力しなきゃ幸せは来ない。努力しないで幸せが来る。だから怖いんです。ね、一つ目の顔は天使の顔です。
そして、それだけだったらみんなで使えばいい。でもそれと同時に二つ目の顔が来るんです。

薬物、ドラッグの二つ目の顔は、死神の顔です。
薬物はどのようなものでも、使えば止められなくなります。打ち続ける、火であぶって煙を吸い続けるようになってしまう。
そうすると、人は、死にます。

教員という肩書をなくしても、先生の思いは、何一つ変わりません。願いは一つ。子供たちを、薬という悪魔から守りたいのです。電話は、福岡の女子高生、エリカさんからでした。

もしもし、水谷です。どうした。
なに、警察にか。何やったんだよ。
なにお前、シンナー?やめられなかったか、だってお前、お母さんともこのあいだ話したろ。
学校行って、卒業して、つって。
お前、だって幼稚園の先生になるんだって言ってたじゃん。
どうしたんだよ。
…だってそれがさ、いかに危ないかも、わかってるよな。
組筋の関係押さえて、ここまで来て。いま警察官いるのか。
いる?ちょっと代われ、警察のかたに。で、お前いいか、ちょっと待ってろ。自分のやったことは償え。
もうしょうがない、泣くな。泣いてもしょうがないだろ。
で行くとこ行くかもしれん。それもいい。出てきたら病院。な?
いいか、先生のほうから、警察官にきちっと伝えてあげるから。

Q.どうしたんですか。

捕られた。警察に捕まった。しょうがないよ。それが薬物だもん。
そんな簡単に、俺とお母さんと会って、俺がやめるように言ってもやめれない。
また、やり直し。でもいいよ。ちゃんと償って、流通の経路、押さえちゃえば。
またそこで関わってけば、きっとわかってくれる。長いんだよ、薬物は。

ジュン

先の見えない闘い。それが薬物。しかし、なかには薬物から立ち直った生徒もいます。そんな、ある一人の生徒と再会するため、先生は北へと向かいました。

ジュン。久しぶり。

久しぶりです。

生きてたか。

生きてます。

ジュンさん(26歳)

元気でやってた?

元気。

大丈夫?

大丈夫。

二人の出会いは今から6年前。当時彼女は4年間覚せい剤に溺れ、自分ではもう、どうすることもできない状態でした。そして先生に手紙を送ったのです。“覚せい剤にはまってしまいました。先生、助けてください。大好きな薬をやってても、時々死にたいと思い、死にたくなる時がある。”

クスリが効くことと、自分が楽になれればいいっていう、思いだけだったから。
死んでもいいっていつも思ってたし、クスリやりながら死ねるのが、やっぱ、自分一番…嬉しいっていうか、いいかなって。

ジュンさんのなかで、死にたいと願う気持ちがどんどん強く大きくなったとき、先生はある決断をしました。先生は、麻薬取締官に通報し、彼女を逮捕させたのです。その後半年間、ジュンさんは、女子少年院に入りました。自分を通報した先生を、恨んだこともあったそうです。でも彼女はいま、幸せな結婚生活を送っています。先生が願ったのは、死ぬことではなく、彼女の未来。生きることでした。

身体の調子はもう大丈夫?

大丈夫。

視力とか、少しは戻ってきた?

下がってる。

下がってる。頭の片頭痛は?

ある。
…でも前に比べたら、楽になった。

だいたい使った年数の3倍で、戻れるところまでは戻るっていわれてるんだ。
だから…ジュンの場合何年使った?
16、17、18、19、4年か。じゃあ12年かかるな。
だからちょうど半分か、6年で。あと6年は、まだまだ。
でも言い方変えれば、あと6年また、少し良くなるってことだから。ね…。

何かあったら、いつでも電話しろ。先生のできることはだいぶ増えてきてる。
本当に数少ない、薬物から立ち直った生徒の一人だから。ね…。

Q.まだクスリをやりたいってたまに思うって言ってたけど、どんなときにそう思うの?

たまにじゃないんですよ。忘れた日はないんですよ。
で…こう、警察24時とか、なんでも、番組、クスリ関係のニュースとかなんでも流れると、すげえ、こんな量持ってる奴いんだ、とか。
まだ、普通に路上で売買してるのとか、映像で映るじゃないですか。これどこだ?とか思って。まだ興味津々。

Q.歯止めになってるのは何?

家族と、いまは旦那ですね。
やっぱ家族…母親も、なんか最初は、関係ねえやって思ったんですけど、初めて面会来たときに母親が泣いて。
自分が、こんな自分嫌いになったでしょ、みたいな聞いたら、お母さんの子だから嫌いにならないって言ってくれて。その母親の涙が忘れられないですね。
初めて見た、母の涙。だからもう…絶対泣かさないと思って。

一度覚えてしまうとなかなか抜け出せない、それが、薬物の恐ろしさ。ちょっとした心の弱みに付け込んでくるから、先生はいつでもそばにいるのです。太陽の下を歩いて行ってほしいから。悲しい別れは、もう味わいたくないから。

アイ

――一人の少女の話を、聞いてください。水谷が、15人目に殺した、少女です。アイといいます。
僕はアイを、二人殺してる。
このアイ、中学校3年のとき、いまから5年前です、親から電話がありました。水谷先生、うちの子助けてください、アイといいます、中学校3年生です、覚せい剤やってます、シンナーもやってます、夜遊びして家にもあまり帰ってこない、暴走族とも関係持ってます。
じゃ、今日行きましょう、夜11時に、彼女の家に行った。夜11時です、中学校3年生のアイが帰ってこないんです。
夜中の2時ごろ、ただいまーって帰ってきました。もうシンナーのにおいぷんぷんです。何やってんだお前アンパン吹いて、そしたらアイ言うんです。うるせえんだよジジイって言うからジジイじゃねえ、若いんだ、ってゆったらハゲって言われてよろよろっときました。
で、いろんな話をした。この子はね、シンナーはたったの3か月、覚せい剤たったの5回なんです。うん、たいしたことないなって思いました。でもアイに言った。アイいいか、薬物は、一回一回の乱用が、脳や神経系を直接壊す。一回壊れた脳や神経系は、二度と元に戻らない。だから脳の断層撮影、CT撮って来い。脳のダメージを調べて、闘おう、薬物と。
説得して病院連れて行きました。脳のCT、断層撮影撮りました。結果が、30分後に出た。
もう結果の写真を見てドクターと僕と、絶句です。たった3か月のシンナー、たった5回の覚せい剤で、脳の外側、大脳新皮質の8パーセントが溶けてた。なんなんだ。これ、脳が縮んだって考えたら、80代の高齢者の脳です。
この子はわずか中3で、80の高齢者の脳で、一生生きてかなきゃならなくなった。それ以上困ったこと起きました。アイは、中2から中3にかけて、約60名の男たちに、体を売らされたり、雑巾にされてた。コンドームつけてませんでした、ほとんど。
中学生は妊娠しない、外に出せば大丈夫。

その後、アイさんは感染症を併発、16年という、短い生涯を閉じることとなります。

運命の日が来たのは、7月13日。
ドクターから電話入りました。明日の午後からモルヒネを投与する。眠るように2か月程度で、亡くならしてやりたいから、明日の午前中、意識が混濁する前に、会ってくれ。最後通牒でした。
ドクターに頼みました。一回アイと朝日見ようって約束してた、今日の夜中、学校たたんですぐに行っていですか、許可をもらった。
それでアイの病院行きました。病室開けてびっくりした、アイが選んだ、最後のお別れの服装は、アイが一番好きだった、高校の制服でした。だぶだぶの制服を、お母さんや看護師さんたちが、一生懸命まつり縫いをして合わしてくれてた。髪の毛きちっと編んでもらって、黒い髪の毛です。体じゅうの斑点を、3人の若い看護師さんたちが一生懸命自分のファンデーションで、塗ってくれたそうです。
唇は真っ黒、口紅が何度塗っても、乗らないって。白くつぶして、目も、そこに全部綺麗に朱を入れてもらって、頬紅まで、さしてもらってた。
お人形のようでした。決して美しくはない。骸骨ですから。
でもね、話なんかできなかった。頭なでては泣き、ほっぺた触っては泣き、手握っては泣き、抱きしめては泣き、頭くっつけては泣き、もう二人で泣くことしかなかったんです。泣いて泣いて泣いて泣いて。
朝8時に、お父さんとお母さんとお姉さんが来ました。家族全員です。やっぱり一緒です。頭なでて泣き、ほっぺたなでて泣き、手握りしめて泣き、抱きしめて泣き、みんなでわんわん泣いてました。

11時に、ドクターが見るに見かねたんでしょう、アイに言いました。アイちゃん、もうお休みしようか。
アイが、うん、って答えました。
みなさんいいですか?って言われて、我々も、はいと答えるしかなかった。
11時過ぎ、アイにモルヒネが投与されました。アイの手が離れてくときのアイの最後の言葉は、先生ありがとう、お父さんありがとう、お母さんありがとう、お姉さんありがとう、でした。
でも無残でした。アイはモルヒネで死ねなかった。生きたかったんでしょう。もっともっと、生きたかったんでしょう。
9月末、2か月規定量のモルヒネで、死ねませんでした。それ以上のモルヒネは打てません。殺人になる。今度はモルヒネの禁断症状で苦しむんです。
モルヒネ、ヘロイン、アヘン、ケシ系の薬物の禁断症状は切れると血管のなかを虫が這うような不快感です。その不快感のなか、意識がないままに、うおー、うおーって身をよじると、肩の関節が外れてく、肩を入れてると、ひじが抜けてく、ひじを入れてると、足が抜けてくんです。
最後は股関節まで!その痛みで苦しむ。

最後、タオルケットと毛布でぐるぐる巻きにして、禁断症状が起きると、もう3人がかりで、抱きしめてやることしかできなかった。
その苦しみのなかで、10月15日、もう2年たちました。まる2年たった。未明に息引き取りました。
ご臨終ですの、医者の言葉にお父さんの言った言葉、水谷が48年の人生で聞いたなかで、最もつらい言葉でした。
よかったなあ、アイ。やっと楽になったな。愛してる娘に死なれて、何でよかったなって言わなきゃいけないのか。辛かったです。
アイの目、かっと見開いて、僕を睨んでた。舌をずっと突き出して、舌を何度入れてやろうとしても、入らなかった。
目はこう言ってました、水谷先生何で助けてくれなかった、私殺したのは、あんただよ、あんたたち大人だよ、あんたたち大人の作った、この社会だよ。

エピローグ

12月の中ごろ、生死の境をさまよったナツミさんから、話したいことがあると、先生に連絡が入りました。どうしても伝えたいことがあるそうです。彼女がどうしても、先生に伝えたいこと。

お前、手どうなんだよ、リストカット。

リストカット?

まあまあ、新しいな。2日以内だな。夕べか?

違うよ。

おととい?

うん。

私さ、先生の言うことにずっと反発してたよね。
ず~っと、反発してたよね。
入院しろ、嫌。病院行け、嫌。入院させるぞ、嫌、って。

先生焦ってないから。一日二日で、お前が変わるわけない。

私はね、やっぱりね、クスリとバイバイしたい。
なんでかって言ったらね、将来愛する人が、できたときにね、その人の子供、産みたいもん。

だったら簡単、クスリはやめれるさ。
クスリやめたときの、副作用、キックバックね。
だからクスリを、そのことをドクターに話して、入院で薬を引いたほうがいい。
家では危なすぎる。
明日に夢があるなら、明日のために、いまを生き直さないと。いまに潰されないで。いまは、明日のために。過去引きずっての今じゃなくて。過去はもう、どうでもいい。明日のためのいま。一歩踏み出しなさい。

私ね、でもね、先生に凄い感謝してんの。

何を?

私を生きさせてくれて、ありがとうって。

そうかな。

ようやく、素直に自分と向き合えるようになったナツミさん。長かった冬を乗り越えたら、待っているのは、春の穏やかな、太陽の温もり。

生きる場所を失った子供たちは、今夜も悲痛な叫び声をあげています。その前を、何も気づかず通り過ぎる大人たち。

(電話音声)「先生ごめんなさい、わたしもうダメだ…。」

(電話音声)「あ~。わかんない…。んー。」

(電話音声)「全部で、なんか…。40錠…ぐらい飲んで…。」

(電話音声)「だから先生と…。触っときたかったから…。」

水谷先生は、今日も歩きます。いつの日か、夜の街から子供が姿を消すことを願い、信じ、日本中を回ります。新しい出会いが、闘いの始まりと知りながら。その足が立ち止まることはないのです。他の誰でもない、明日を担う子供たちのため。許すという勇気をスーツに忍ばせ、いいんだよとつぶやきながら。命ある限り。

みなさん、来年の春に、お好きな花の種を、どうぞお庭に植えてごらんなさい。
どんな花の種を皆さんが植えようと、それらの花の種、大きく育て、きれいに育て、ほら水だよ、栄養だよ、毎日きちっと育てれば、必ずきれいな花が咲く。
子供だっておんなじですよ。
親が、我々教員が、地域の大人が、マスコミまで含めた社会のすべての大人が、お前のそういうとこ好きだ、お前っていいやつだな、お前にはこういう明日ありそうだ、何でも手伝うぜ、お前のこと大好きだよ、たくさんの愛を持って育てれば、どんな子だって時期が来ればきれいな花を咲かすんです。
子供の数だけ、花の種類はあるし、咲く時期も違うでしょうけど。
もし咲かないで、枯れてしまったり、腐った花咲かす子がいたら、それは、大人によってそうされた、犠牲者です。その犠牲者が、いま僕が、ともに生きてる夜眠れない子供たち。夜の闇に沈んでる子供たちなんです。
今いる子供たちも何万という単位で、水谷が背負しょってる。背負えるとこまで背負いましょう。でもそのあいだにみなさんは、僕の世界に、一人の子も来ないように、もっともっともっともっと子供たちを、愛してやってください。
いいですか、子供の数だけ明日がある。子供の数だけ人生がある。学校行かない、いいんだよです。多少の非行、いいんだよです。でも人を傷つけること、自らを傷つけ死ぬこと。それだけは、だめだよです。

<終>

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