フリーメイソンの目的と正体 〜秘密主義と、囁かれる陰謀の素顔〜

コンテンツ

フリーメイソンをめぐる疑惑

イントロダクション

ローマ法王の暗殺疑惑。切り裂きジャック。そして、銀行家の不可解な自殺。一見関連のないこれらの事件に、ある秘密結社の関与がささやかれています。

「陰謀説の、格好の材料です。」

「自殺ではなく、他殺です。」

それは、数世紀にわたり、疑惑とスキャンダルに包まれてきた巨大組織、フリーメイソンです。フリーメイソンとは、どのような組織なのでしょうか。

「私はモハメド・エルカデル。会員です。」

「女性も関わってきました。」

「私はカジス・ボーン。会員です。」

固く閉ざされた扉の向こうには、何があるのでしょう。世界中に散らばるフリーメイソンの、知られざる活動に光を当てます。また、ある銀行家の不可解な死との関連を探ってみましょう。

「フリーメイソンによる、国家乗っ取り計画です。」

世界最大の秘密結社。フリーメイソンの事実に迫ります。

現代のフリーメイソンリー

現在のフリーメイソンは、およそ300年前に、ロンドンで発足しました。以来彼らの周辺では、数多くのショッキングな陰謀説がささやかれてきました。しかし、どんなイメージがあるにせよ、この番組で、フリーメイソンに対する理解が変わるかもしれません。真実を明らかにするには、さまざまな意見を聞く必要があります。

コンラッド・ギャレンジャーは、陰謀説否定派です。
「会員は沈黙せず、もっと自己弁護すべきです。」


いっぽうデビッド・サウスウェルは、フリーメイソンへの疑念を隠しません。

「現代のカルト集団の多くは、フリーメイソンから発生しました。」

そして、イギリスのフリーメイソン本部グランドロッジの広報責任者である、ジョン・ハミルが、今回、番組のインタビューに答えてくれました。

「陰謀説は迷惑ですが、話としては楽しめます。」

また、これまでベールに包まれてきた、ロッジの内部にカメラが入り、現代の会員たちに話を聞くことができました。

「私はトッド・キッサム。会員です。」
「私はジャネット・インターミュート。会員です。」

一見ごく普通の、温和な人々の集まりであるこの団体が、なぜ、陰謀や殺人といった不吉なイメージを背負うことになったのでしょうか。

銀行家 ロベルト・カルビーの死

1982年6月18日。ロンドンのブラックフライヤーズ橋の下で、死体が見つかりました。それは明け方のことでした。身なりの良い男性が、橋の下で首を吊っていたのです。彼のポケットには多額の現金と、偽造パスポート。そして、レンガが詰まっていました。

「明らかに、異常な状況でした。私はルパート・コンウェル。会員ではありません。」

コンウェルは当時、フィナンシャルタイムズ紙の特派員として、ローマに滞在していました。間もなく死体の身元が判明します。62歳のイタリア人銀行家、ロベルト・カルビーでした。

ルパート・コンウェル「ロベルト・カルビーの死は、世間に衝撃を与えました。ただ、彼の死そのものは、ある程度予想されていたものでした。ショッキングだったのは、その死に方です。ポケットには多額の現金があり、逃亡中という印象だったのです。」

遺体にはトレードマークの口髭がなく、身元の判明には時間がかかりました。イタリアの偽造パスポートが、唯一の手がかりとなります。身元がわかると、警察当局はまず、自殺の可能性があると考えました。カルビーは、イタリアの銀行業界の有力者で、国内最大の民間銀行、アンブロジアーノ銀行の頭取でした。この銀行は、バチカンと親密な関係にあり、カルビーは、法王の銀行家と呼ばれていたのです。死の直前、彼は公金横領容疑で逮捕され、懲役4年が言い渡されていました。

ジャーナリストのギャレンジャーは、過去20年にわたり、この事件を調査しています。

「私はコンラッド・ギャレンジャー。会員ではありません。アンブロジアーノ銀行の頭取で、多額の金が洗浄され、南米などの銀行に送られたあと、どこかへ消えていました。最終的には、およそ14億ドルが行方不明になっています。」

消えた金の一部は、バチカンのものです。カルビーには、個人的な責任があるとみなされました。ジャーナリストのコンウェルは、1982年、カルビーが死ぬ直前に、彼に会っています。

ルパート・コンウェル「彼の銀行に行くと、しばらく待たされたあと、頭取が待つ部屋へ案内されました。部屋までの通路は薄暗く、すべて灰色だったと記憶しています。着いたのは通路の脇の、待合室のような部屋でした。彼は口の左端をぴくぴくと痙攣させ、指先で机を叩いていました。ロベルト・カルビーは、奴らに追われている、と言いましたが、それが誰なのかは、言いませんでした。確かだったのは、彼が何かに怯え、おそらく、死が近いことを予感していたということです。」

カルビーの死は、自殺と断定されました。しかし息子のカルロは、父親の死の根本的な原因は、汚職にあると考えています。

「息子のカルロ・カルビーです。フリーメーソンではありません。この事件には、2つの面があると思います。一つは、父の死という個人的な問題。そしてもう一つは、公的な団体が、汚職に関わっていたという事実です。」

事件からおよそ20年を経て、新たな証拠が明らかになりました。作家のサウスウェルは、この事件について、陰謀説を唱えています。

「デビッド・サウスウェル。会員ではありません。カルビーの家族は、真実を求めました。当時無視された彼らの主張は、正しかったのです。」

カルビーは殺された疑いがある。フリーメイソンが関与したという説が、一部でささやかれたのです。

フリーメイソンの活動内容

フリーメイソンのシンボルは、街中でもよく見られますが、多くの人は、その存在にさえ気づきません。

「フリーメイソンは、長い歴史を持つ世界最大の秘密結社で、数百万人の会員が存在します。」

その起源は、12世紀のテンプル騎士団ともいわれています。ともあれ、現在のフリーメイソンは、1717年にロンドンで結成され、ジェームズ・アンダーソンによって、フリーメイソン憲章が制定されました。1757年までには、独立前のアメリカに伝わりましたが、世界的な広がりを見せるのは、19世紀に入ってからでした。イギリスやスコットランド、アイルランドの会員たちが、兵士として、アフリカやアジア、中東、ヨーロッパへと渡って行ったためです。

フリーメイソンはやがて、世界中の国や地域の慈善活動に巨額の寄付を行う団体として知られるようになりました。現在も会員は、慈善活動を重視しています。ハートフォード神学校の教授、イアン・マーカムはこう語ります。

「私はイアン・マーカム。会員ではありません。フリーメイソンは、慈善活動や社会貢献を重視する団体で、会員の多くは社会的地位のある紳士です。」

ロッジと呼ばれる支部で、その活動内容を聞けば、穏やかな答えが返ってきます。

「私はジョン・ハミル。会員です。私たちは、他者との共感にもとづく、社会貢献を目指しています。金銭はもちろん、時間や才能を、慈善活動に捧げているのです。」

フリーメイソンは、3つの重要な信条を掲げています。兄弟愛、真実、救済です。

「私たちにとって、救済は慈善活動を意味します。人助けは、会員の誓約なのです。私はジャネット・インターミュート。会員です。膨大な金額が、慈善活動に使われています。」

排斥された過去

会員は、常に表舞台にいたわけではありません。ときには、地下へ潜る必要に迫られました。ヨーロッパでの会員の秘密主義は、ヒトラーに対する当然の対応でした。少なくとも8万人の会員が、ナチスの強制収容所で命を落としたといわれています。

「弾圧を受けた時代もあります。1930年代と第二次世界大戦中には、ユダヤ人やロマの人たちと同じように、会員は強制収容所へ送られました。」

これは、ナチスによるフリーメイソン弾圧を描いた、1947年のアメリカの宣伝映像です。

「フリーメイソンはどうだ?ドイツに秘密結社は必要ない。国民はすべて、ナチスに従うべきだ。」

ヒトラーは、フリーメイソンがユダヤ人と手を組んで、ヨーロッパの経済、政治、マスコミを操っていると考えました。権力を手にすると、彼はドイツのロッジをすべて破壊し、フリーメイソンの排斥を呼び掛けたのです。

「第二次世界大戦の直前から、苦しい時代が始まりました。それまで、堂々としていた会員が、息をひそめるようになりました。」

皮肉なことに、ヒトラーの猜疑心を煽った秘密主義が、彼らを守ることになります。

「秘密主義が彼らを守ってきましたが、同時に内部を見せないことが、世間の人々の反感を呼びました。実態のわからないものは、恐怖の対象となります。その結果、彼らは不当な疑惑を向けられるようになったのです。」

「肯定も否定もしない姿勢は、不利に働きます。その前提が、黒だからです。」

「私たちはこれまで、マスコミを受け入れませんでした。そのことが、誤解を生む原因となったのかもしれません。」

「秘密結社である限り、裏の顔を探られるのは、当然だと思います。」

非主流グループの存在

フリーメイソンの秘密主義は、はからずも、ある人物の死への組織的な関与を疑わせる結果となります。その人物とは、法王の銀行家、ロベルト・カルビーです。タブロイド紙は、カルビーがP2と呼ばれるフリーメイソンと関係した秘密結社のメンバーであったという事実を突き止め、大々的に報道しました。P2は、1885年にプロパガンダドゥーエという名前で発足しました。このイタリアの組織には、政府や軍の関係者のほか、不正行為に手を染めたビジネスマンが入り込み、メンバーの多くがマフィアと通じていました。そこでフリーメイソンは、プロパガンダドゥーエのロッジを閉鎖することにします。1976年、プロパガンダドゥーエのリーダー、リチオ・ジェッリが、フリーメイソンから除名されました。ジェッリは組織をP2と改名し、フリーメイソンのイタリア本部の承認なしに、独自の活動を続けます。

「カルビーは、P2のメンバーでした。しかし、フリーメイソンの会員だった証拠はなく、あくまでもP2のメンバーだっただけです。」

1977年、ジェッリがカルビーを誘い入れたときには、P2は、少数の名士からなる、単なるクラブと化していました。フリーメイソンは、イギリスのグランドロッジによって統括されています。しかし、P2のように、主流から外れて、独自に活動するグループも存在します。世界中におよそ500万人の会員がいることを考えれば、ルールに従わない人々が現れても、不思議ではありません。

入会

現在、フリーメイソンは、会員を増やす努力をしています。ワシントンDCのロッジでは、入会に興味を持つ人々への説明会が行われています。

「フリーメイソンとは、加わるものではありません。なるものなのです。つまり、会員に認められて、初めて受け入れられるのです。」

フリーメイソンへの入会には、固い決意が必要です。

「私は、ジャスティン・ポルタックです。以前から入会に興味があり、半年間下調べもしてきました。」

「門戸は広くありません。エリート主義か。いいえ。選択的か。その通りです。では、選択的とは。一定の基準を設け、それに見合った者のみを、組織に受け入れるということです。一つの例として、私たちは、無神論者を受け入れません。入会条件のひとつが、信仰を持っていることなのです。どの宗教を信じるかは問いませんが、私たちは入会希望者に、神を信じていることを求めます。」

ポルタックは、フリーメイソンの信条に共感を覚えています。

「フリーメイソンの趣旨は、人格形成と、共同体への参加だと理解しています。」

女性会員と女性団体

彼のような若い男性は、入会を歓迎されますが、人口の半数を占める女性への対応は違います。女性のフリーメイソンの団体は、主流である男性のロッジからは、認められていません。しかし、その数は増えています。

「イギリスには、女性が入れるロッジが二つあります。私たちの知る限り、彼女たちは、私たちと同じ信条に従い、同じ儀式を行い、多くの慈善活動に参加しています。正式な承認を求めているようですが、互いに拒否感も存在します。」

アメリカでは、女性も男性の会員と同じように、フリーメイソンのエプロンを身に着けます。ジョージア州アトランタに住むジューン・レノンは、男性も女性も入れるフリーメイソンの関連団体に属しています。

「私はジューン・レノン。女性会員です。男性と女性が同じロッジに所属し、活動を共にすることには、価値があります。なぜなら男と女は、陰と陽であり、互いの正反対の意見を聞くことができるからです。性別が異なれば、考え方も異なるでしょう。」

さらに、女性しか入れない関連団体も存在します。スーザン・ゴンザレスは、現在のフリーメイソンが行っているものより、さらに古い儀式を取り入れている、ニューヨークのロッジのメンバーです。

「私はスーザン・ゴンザレス。女性会員です。古代から女性は、儀式に不可欠なものでした。フリーメイソンは、儀式的なシンボルを、実務的な合図に取り入れてきましたが、その過程には、女性の存在もあったと思います。どちらが先という問題ではなく、進化だと思います。」

現在、世界中に点在するロッジは、1717年にできたグランドロッジから派生したものです。グランドロッジは、ロンドンの銀行街にあった4つの拠点を統合して造られました。メンバーは、ガチョウと焼き網という名のパブで会合を行い、自らをフリーメイソンと呼びました。6年後には、数百人のメンバーが集まり、ロッジと呼ばれる支部が複数設立されました。そしてフリーメイソン憲章が制定され、規則やシンボルが正式に決まったのです。

なぜ秘密結社を始めたのかという動機は謎です。一説では、労働階級に力を付けさせるための基盤を作ろうとしたといわれています。富める者と貧しい者に、情報交換の場を与えることにより、格差の縮小を目指したと考えられます。18世紀当時、職業を持つ女性は少なかったため、入会基準から除外されても不自然ではありませんでした。しかし現在、組織も、変化の必要性を認識しています。

「将来的に問題となりえるのは、女性会員の正式な受け入れです。いまのところ、グランドロッジには男性しか受け入れていません。決して私たちが、女性を見下しているわけではなく、慣習的な問題なのです。」

フリーメイソンの関連団体に所属する女性は、シンボルのほかに、儀式や階級を取り入れています。しかし彼女たちは、必ずしも、グランドロッジに受け入れられることを求めてはいません。

「女性を歓迎しないロッジに入ることを許されたとしても、会員として適切な働きができる可能性はゼロか、それ以下です。女性会員にとって、承認は重要ではありません。平等でなくても構わないのです。私たちの真意は、別のところにあります。」

ワシントンDCのジャネット・インターミュートは、女性だけが入れるフリーメイソンの関連団体に所属しています。

「私たちの組織は、儀式の内容を明かしていません。いっぽう、正統派のフリーメイソンの儀式は暴露本などが出版され、もはや秘密ではありません。その点、私たちは非常に慎重です。」

しかし、なぜ秘密にする必要があるのでしょう。

「組織内の活動について、公表しないと誓ったからです。秘密にしたいからではなく、会員同士のみが分かち合う、率直さを守りたいからです。それは、当然の権利です。」

秘密主義と情報公開

ロッジの中で何が行われているかを公表しないことにより、会員自身が不利益をこうむることはないのでしょうか。

ロバート・クーパーは、スコットランドのグランドロッジに所属しています。

「私はロバート・クーパー。グランドロッジ博物館の館長です。現代社会は、悪者を必要としています。現在、世の中には陰謀説がはびこり、人々は責任逃ればかり考えています。そこで、私たちが悪者にされるのです。」

「悪いことが起こると、決まって私たちが疑われます。」

「権力を持つものは、注意しないと足元をすくわれます。特に怖いのは、情報を開示しないために、誤解されることです。」

秘密主義がもたらした悪いイメージを払しょくするために、イギリスでは、一部の儀式が公開されています。イギリスのフリーメイソンは、エリザベス女王のいとこである、ケント公を組織の長であるグランドマスターとしています。

「折に触れて――例えば四半世紀ごとに――私たちの活動を、世間に説明しようではないか。それによって人々は、理不尽な不安から解放され、私たちの自由は、尊重されるであろう。」

ロッジには、一般の人々が入ることができます。彼らが怪しい団体でないことを、理解してもらうためです。

「ここはイギリスの本部にあたるグランドロッジですが、年間の見学者は3万人です。興味があれば、誰でも気軽に立ち寄って、館内を見て回れます。これでも、秘密主義といえるでしょうか。」

カナダのハリファックスのロッジは、さらなる開放に踏み切りました。今回の取材のために、ロッジの中の撮影を許可したのです。マスターのビック・ルイスが、案内役を務めます。

「この部分は、東と呼ばれます。背の高い椅子は、マスターの席で、ソロモンの椅子と呼ばれます。」

彼らは役者ではなく、本物の会員です。今行われているのは、新会員を迎える会合です。

「諸君、それぞれの席に着くように。」

「マスターの前の3段の階段には意味がありますが、会員にしか教えられません。」

毎回、会合の始めには、マスターが会員に、ロッジでの役割と目的を述べるよう促します。

「執事補佐よ、汝の役割を述べよ。」

「タイルの確認です。」

「では、タイル職人に、第3階級の儀式の開始を伝え、しかるべき行いをするよう、指揮せよ。」

「マスターの両脇には、切り石と呼ばれる石があります。片方はなめらかで、もう片方は荒削りです。荒削りな方は志願者を、滑らかな方はマスターになった会員を表します。会計係は、上位の会員が務めます。仕事はロッジの金銭の管理で、会計の知識を持つ会員が適任です。反対側には、書記の席があります。書記がほとんどの実務をこなします。たいていのロッジでは、書記がマスターの右腕となります。別のロッジの会員が来訪した場合は、小槌を渡してロッジの委任を申し出ます。しかしこれは形式的なものです。」

「本日はロッジへ来訪いただき、大変光栄です。どうぞ小槌を取り、ソロモンの椅子にお掛けください。」

「ご親切なお言葉、感謝いたします。お気持ちは嬉しく存じますが、小槌はお返しいたします。ありがとう。」

殺人を許さないフリーメイソン

彼らは、世間の誤解を解くために、情報公開に努めてきましたが、2004年、その努力を無にする事件が起きました。ニューヨークで起きた、ウィリアム・ジェームズ射殺事件です。報道によれば、ジェームズは、ロッジの地下室で目隠しをされた状態で射殺されていました。彼のまわりには、空き缶が並んでいたといわれています。

アメリカの歴史家で、フリーメイソンに関する本を書いた、スティーブン・ブロックは、ウィリアム・ジェームズ射殺事件について、こう語ります。

「ウィリアム・ジェームズが入会しようとした団体は、フリーメイソンのロッジと関連したものでした。しかし、ロッジではありません。その団体の入会儀礼のひとつに、空砲を使ったものがありました。この儀式は、団体のメンバーの一人が空砲を撃ち、別のメンバーが空き缶を倒すという仕掛けでした。ところが、空砲だと思ってポケットから取り出した銃が、実は、実弾入りだったのです。ジェームズは、射殺されました。」

この事件により、フリーメイソンへの疑惑はさらに深まりました。果たしてこれは、単なる事故だったのでしょうか。イギリスのグランドロッジの見解は、一貫しています。

「不幸な事故でしたが、ロッジとは無関係です。空砲だと思って、誤って実弾を発砲したという事故です。ところが、事実はゆがめられ、フリーメイソンの殺人儀式と言われるようになりました。人々は簡単にそれを信じたのです。」

ニューヨークの本部はただちに、事件が、フリーメイソンの会合や施設、または儀式のいずれとも関係していないという声明を出しました。また、フリーメイソンの儀式には、銃器は使われたことがなく、今後も一切使われないことを、会員に改めて告げました。

「この時発砲した人物は、自分のミスに気づき、大きなショックを受けました。この出来事は、過失による悲劇的な事故にほかなりません。」

発砲したアルバート・エイドは、罪を認めて、過失致死罪で告訴されたあと、執行猶予を与えられました。しかし、犯罪歴を持った彼は、ロッジから除名されました。

「法律を犯した会員は、会員活動の一時停止を命じられます。あるいは、除名されることも少なくありません。」

陰謀団体 P2

フリーメイソンのロッジは、それぞれ独立した考えを持つものの、殺人を許さないという点では一致しています。ということは、フリーメイソンがロベルト・カルビーの死に関与したという説は、成り立たないはずです。カルビーは、P2と呼ばれる秘密結社のメンバーでした。P2は、900人を超える有力者を抱え、そのなかには、イタリアの諜報機関のトップや、銀行家、政治家、軍の高官までもがいました。アンブロジアーナ銀行の頭取だったカルビーを、組織のメンバーに誘い入れたのは、P2のリーダー、リチオ・ジェッリです。

ジャーナリスト コンラッド・ギャレンジャー「リチオ・ジェッリの名簿には、数百人の名前がありました。機密情報を不正に入手し、脅迫を行っていた証拠もあります。彼の狙いは、イタリアを権威主義的な国に変えることでした。」

作家 デビッド・サウスウェル「P2は、1877年に、正統派のロッジとしてつくられました。ところが、1960年代にジェッリが入り込み、P2を策略に満ちた組織に変えてしまったのです。」

P2がカルビーを入会させたかった理由は明らかです。彼らは、邪悪な計画を実行するために、巨額の資金を必要としていました。しかしなぜ、家族思いで敬けんなカトリック信者のカルビーが、P2のような組織に加わったのでしょう。

ロベルト・カルビーの息子 カルロ・カルビー「父はP2に、加わりたくて加わったのではありません。銀行は成長して、買収の標的にされていました。協会や一般の金融市場を巡って競争が激しくなり、生き残るためには政治家の力が必要でした。P2は、政治家との交流の場であり、父は仕方なくそこへ足を踏み入れたのです。」

作家 デビッド・サウスウェル「カルビーの狙いはビジネスチャンスであり、闇の権力への接近でした。しかし初めは、組織の正体を知らなかったと思います。P2は単なる秘密結社ではなく、国家の乗っ取りを企む、陰謀団体だったのです。」

ジャーナリスト コンラッド・ギャレンジャー「アンブロジアーノ銀行が、P2やジェッリの仲間に融資を行っていた証拠があります。」

真偽のほどは定かではないものの、噂はやがて警察機関を動かし、大規模なスキャンダルへと発展します。1981年の夏。警察は、ジェッリの自宅からP2のメンバーの名簿を発見。P2は正式に閉鎖されました。名簿には、ロベルト・カルビーの名前がありました。彼はこうして、破滅への道を歩み始めます。

ジャーナリスト ルパート・コンウェル「ロベルト・カルビーがP2のメンバーであると判明したのは、リチオ・ジェッリの自宅から押収された名簿に名前が載っていたからです。カルビーは否定しませんでした。彼の友人の多くも、P2のメンバーでした。」

時の首相、アルナルド・ホルラーニは、ジェッリの自宅で見つかったP2の名簿に、数人の大物政治家が含まれていたことから、辞職に追いやられます。

ジム・マースは、さまざまな陰謀説に関する著書を出版しています。

「私はジム・マース。会員ではありません。あの事件は、フリーメイソンによる国家乗っ取り計画であり、独裁政治への足掛かりといえるでしょう。非常に周到な計画でした。フリーメイソンの陰謀というと、作り話と笑われますが、これは紛れもない事実なのです。」

ジャーナリスト コンラッド・ギャレンジャー「フリーメイソンは、一連の不正から利益を得ておらず、唯一の接点はP2が元ロッジだったという事実だけです。」

ハートフォード神学校の教授 イアン・マーカム「P2は、1970年代半ばに、閉鎖されています。そしてフリーメイソンは、P2と絶縁し、P2のグランドマスターを除名しています。」

P2が、フリーメイソンの行動規範に従っていなかったとしても、彼らがロッジのメンバーを名乗り、秘密の会合を開いていたという事実は、フリーメイソンの名を汚すのに十分でした。

作家 デビッド・サウスウェル「フリーメイソンにとっては災難でした。悪者がP2を乗っ取り、フリーメイソンの名を利用して邪悪な計画をめぐらせていたからです。やがて計画が明るみに出ると、人々はフリーメイソンに、非難の目を向けたのです。」

ジャーナリスト コンラッド・ギャレンジャー「陰謀説は噂にすぎません。邪悪な人間は、なんでも利用するものです。良い組織をも、悪く変えることでしょう。リチオ・ジェッリも、そのような人間でした。どんな団体でも悪用したでしょうが、フリーメイソンの要素が、好都合だったのかもしれません。」

ローマ法王 ヨハネパウロ1世の死の疑惑

P2による、別の暗殺疑惑を疑う者もいます。被害者とされる人物は、なんと、ローマ法王です。

作家 デビッド・サウスウェル「ヨハネパウロ1世の死の状況を改めて見直してみると、いくつかの不審な点が浮かび上がってきます。」

ヨハネパウロ1世が法王として在位したのは、わずか33日間でしたが、そのあいだに、彼の死は決定づけられたと考えられます。一説によれば、彼は死の少し前に、バチカンと、ある秘密団体との関係を知り、調査を行う予定だったといわれています。その団体とは、P2です。

作家 デビッド・サウスウェル「ヨハネパウロ1世が予定していた調査を恐れていた枢機卿がいました。またP2のメンバーや一部の政治家や実業家、マフィアにとっても、都合の悪いものでした。調査が実施されれば、彼らは社会的地位を失い、破滅に追いやられたことでしょう。その矢先に、法王の突然の死が伝えられたため、当然多くの人々が暗殺を疑いました。」

死因は心臓発作と発表されました。遺体は死の翌日に防腐処理され、解剖は行われませんでした。

イギリス人ジャーナリストのルパート・コンウェルは、P2による暗殺説には懐疑的です。

「法王の死と、P2は無関係です。一連の出来事は、陰謀説の格好の材料となりました。しかし実際は、法王の突然死は、日常の重い責務の影響だと思います。」

しかし、真実は誰にもわかりません。

根強い陰謀論 フリーメイソンの反論

フリーメイソンは、自分たちは純粋な友愛団体であり、違法な権力とは無関係であると主張しています。フリーメイソンのシンボルは、アメリカ大統領の就任式にも登場します。これは、1989年1月に就任したジョージ・ブッシュ元大統領の宣誓の様子です。映像には映っていませんが、元大統領の手元にある聖書には、いくつものフリーメイソンのシンボルが描かれています。それは200年前、ジョージ・ワシントンが宣誓のときに使ったものと、同じ聖書です。この聖書には、世界で最も古い友愛団体、フリーメイソンの秘密のシンボルが記されています。フリーメイソンの会員には有力者も多く、フランクリン・ルーズベルトやウィンストン・チャーチル、イギリス国王、エドワード8世も含まれます。単なる友愛団体以上のものと疑われるのは、会員の多くが、地位と権力の持ち主だからかもしれません。

イギリス本部グランドロッジ広報責任者 ジョン・ハミル「なぜ私たちが疑われるのか、わかりません。世界征服を企んでいるとか、政府を操っているなどと、よくいわれます。でももしそれが本当なら、ここで私たちの問題について、こうして話すことはしないでしょう。」

しかし、彼らの弁明を受け入れない人たちもいます。インターネット上では、フリーメイソン陰謀説が飛び交っています。ケビン・マクニール・スミスは、フリーメイソンの動きを追ったウェブサイトを運営しています。

「私はケビン・マクニール・スミス。会員ではありません。フリーメイソンは、不正を行う団体だと思います。会員同士で結託し、自分たちに有利にはからいます。自分たちが得をするために、便宜を図り合うのです。」

彼の主張にどのような根拠があるのかはわかりませんが、彼は、無実を証明できない限り、有罪であると考えています。フリーメイソンを、仲間内で便宜を図り合う団体とする見方は、妬みから来るものと考える会員もいます。

グランドロッジ博物館館長 ロバート・クーパー「会員が不当に便宜を図り合うなどという話は、全くのでたらめです。本当なら、何らかの証拠があるはずです。人間は身勝手なもので、気に入らないことがあると他人のせいにしようとします。たとえば、会社で昇進を逃したときなどは、その事実を認めたくないあまり、誰かを指さして、自分が昇進できないのは、あいつの陰謀だというのです。」

警察官や役人の汚職に関する疑惑は今に始まったものではありませんが、イギリスでは、エスカレートする国民の不信感に対応すべく、政府が、フリーメイソンの会員公表に取り組んでいます。

イギリス本部グランドロッジ広報責任者 ジョン・ハミル「私たちとしては、不正行為のためでなければ、会員が自らの名前を公表することを、むしろ喜ばしく感じます。しかし、私たちだけが公表を迫られるのは、危険な集団と決めつけられているのと同じだと思いませんか?」

1998年の調査では、イギリス政府の高官の多くがフリーメイソンの会員であるという噂が、覆されました。

イギリス本部グランドロッジ広報責任者 ジョン・ハミル「司法のトップである大法官が調査を行いました。対象は、裁判官と治安判事です。その結果、会員の割合は、裁判官では、女性も含めて5%以下でした。治安判事では、10%以下です。これでは、陰謀は不可能です。」

ともあれ、フリーメイソンは数世紀にわたって人々から疑惑の目を向けられてきました。ケビン・マクニール・スミスのように、フリーメイソンの信念の中核を占めるのは正義ではなく、権力と野望であると信じる人々によって、陰謀説は、今も根強く支持されています。

悪魔が設立した団体? フリーメイソンの神と宗教への姿勢

ケビン・マクニール・スミス「さまざまな宗派の教会による調査資料を読み、ある結論に達しました。フリーメイソンは、キリスト教会に対抗するために、悪魔が設立した集団です。」

ジョン・ハミルは、こうした主張は根拠のない作り話だといいます。

「フリーメイソンの入会条件の一つは、神を信じていることです。会員に信仰を求めることにより、独特な、平和的な環境が生まれました。ロッジには、キリスト教やユダヤ教やイスラム教など、あらゆる宗教の人々が集まります。会合では、政治と宗教の話は、持ち出さないのが決まりです。」

ロッジに入るとき、会員は、それぞれの宗教的な理想を離れ、フリーメイソンの一員であることに意識を集中するよう求められます。

「私は会員ですが、ユダヤ教のラビです。私は信心深い人間なので、信仰を持つ人々との交流を好みます。信仰を条件とする友愛団体は、ほかにないでしょう。私には理想的です。」

つまりフリーメイソンは、あらゆる宗教を受け入れ、儀式を通じてコミュニケーションを行う、一種の社交クラブということになります。

「私は牧師のトッド・キッサム。会員です。私は、フリーメイソンの寓話や象徴に、大変魅力を感じます。聖公会の牧師としてフリーメイソンに入会し、宗教の異なる人々と出会えたのは、素晴らしい経験でした。」

「私はモハメド・エル・カテブ。会員です。イスラム教とフリーメイソンは、両立します。フリーメイソンは宗教を問わず、コーランと聖書を並べています。」

しかし、この宗教的な側面が、秘密主義と相まってフリーメイソンの実態に関する、さらなる憶測を呼ぶことになります。

作家 デビッド・サウスウェル「カルト集団に働く心理と同じで、会員は、ある種の強迫観念を抱きます。入会したら後戻りできないという重圧です。彼らは巨大な組織に忠誠を誓うことにより、社会生活よりも組織を優先するようになります。」

実際、会員はどの程度組織の中枢部に近づくことができるのでしょうか。

作家 ジム・マース「フリーメイソンは、2つの層に分かれています。外側の大きな層の会員たちは、組織の本当の目的を知りません。秘密を知っているのは、数少ない内側の層の人間だけです。しかし、外側の層の会員は、この2重構造を知らず、内側の会員は秘密を決して洩らしません。」

それでは、フリーメイソンの活動の実態に迫ってみましょう。後半へ

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